三省会


目次

宇佐先生の講話
(平成30年11月11日)

 今日は皆さん方のたいへん良い体験を聞かせていただき、ありがとうございました。症状があれば治るのは絶対間違いありません。しかしそこに人間が介在しますと、たとえば私ですが、そうしますと、治し方を聞きたくなり、私が何かお返事しますと、それがお役に立つような感じになりますから、非常に具合が悪いのです。介在するのが人間ではなく阿弥陀さんでしたら、阿弥陀さんがどうお考えになっておられるかが分かりませんから、さっそく治ってしまう、救われてしまうのです。それが宗教の見事さなのです。

 その素晴らしい治り方を今日、ここで皆さん方が体験したいと思われるのでしたら、私を間に挟まずに実際のこの場の他の皆様にお役に立ついろいろなことを工夫していかれる、そして発言されれば、それで立派な全治が現れるわけです。ぶっつけに今この瞬間にどなたもが治った人としての行動をお始めになるというそこに、見事な本物の全治が現れるということです。

 昭和25,6年のことですが、京都大学では毎年、哲学者の西田幾多郎博士を偲ぶ会を開いておりました。そこへ禅の大家、鈴木大拙先生が来られて、「西田君と私」という講演をされました。難解な西田哲学を鈴木先生がどう説明されるのか、これは絶対に聞き逃せないと思い私は耳を澄ませておりますと、「西田君の哲学はこの頃流行らないそうだが」と前置きされ、「あの絶対矛盾的自己同一というのは、お経のようにゼッタイムジュンテキジコドウイツと唱えるべきなのです」とおっしゃいました。これにはあっけにとられましたが、今にして考えますとすばらしい名言でありまして、それは西田哲学のあの難解なものが全部解けると言っていいほどのものなのです。

 これは森田療法でも同じことで、前の院長、宇佐玄雄が「理屈抜きですよ」とはっきり言っておりました。それは言葉もなく、論理もなく、何かがあるのではないということです。それでどんどん仕事しなさいと言っているだけのことなのです。

 では会場からのご質問にお答えします。

 「不安になった時に目の前の仕事を探して掃除や片付けをすると、そちらに意識が向き、気がついたら不安を忘れていることがあります。これで全治なのでしょうか」というご質問です。

 人間の意識というものは2つのことを同時に意識できないという決定的な事実がありますので、皆さん方がご自分の症状を問題にしていらっしゃる時は外のことが考えられないのです。逆に外のことに手を出して何とか工夫してやり始めましたら、途端に今度はご自分の長く苦しまれた症状が消えているのです。これが見事な意識の転換で、これは本当に立派な治り方なのです。自分の症状をどう持って行けば治るかという、症状対策、工夫というものはすべて具合が悪いのです。

 次は「日常の生活や仕事に没頭して生きる姿は多くの世間一般の人にあてはありますが、そういう人と、悟っている人とは違いがあるのでしょうか」というご質問です。

 仕事に没頭しておれば立派なものですが、自分というものを考え出しますと、例えば心について論じたり、スポーツ選手がインタビューで「自信がつきました、強い心を持って頑張らなければ」と答えるのを聞きますと、気の毒なくらい心の問題をうまく卒業できていないのだなと思います。ところが悟った人である皆さん方は、もう今日以降ご自分のこと、心の問題について何もおっしゃる必要がありません。それは大変な違いです。その悟りというのは、自分というものを描かない、自分をどうするこうするという工夫がまったくない状態です。
 昭和36年に東京で日米精神医学会議が開かれた時に、鈴木大拙先生が特別講演で「悩みというものは人間が自分を概念化するところから起こる」ということをはっきりとおっしゃっていました。まったくその通りで、概念を組み立てる言葉や論理というものを自分に持ち込まなければ、もう絶対に悩みは起こりませんし、神経症はたちどころに治ってしまいます。

 次は「私にはパニック障害があり、薬をお守りとして常に持たなければパニック発作が恐ろしくてならないですが」というご質問です。

 パニック発作は非常に怖いものです。その恐ろしさは他人には理解してもらえません。それがどのように治るかと言いますと、ご自分が安心を求めること、つまり困った状態から早く抜け出ようとする、その治す工夫というものを抜きにして、実際その場でしなければならないことに調子を合わせていくのです。ですから、電車の中でパニック発作が起こった場合は、その場で周りの人に迷惑をかけないよう、ただじっとしているというだけのことです。

 次は「選択に迷ったら困難な方を選びなさいという指針は森田療法上どのような効果が期待できますか」というご質問です。

 このことは本には載っていないのですが、森田先生の次の教授でした高良武久先生が、福岡で国際森田療法学会があった時の懇親会の席で「今回はよほど出席をやめておこうかと思いましたが、道が2つあった場合は困難な方を選びなさいという師の教えに背くことができませんでした」とおっしゃったのです。このことにはどういう良いことがあるかと言いますと、必要な実生活にすぐ着手することができるということです。言い換えますと、その瞬間に全治しているということです。困難な場面を皆さん方の全治の場所とされれば間違いないのです。

 次は「あるがままとは自分で認識する前のもの、自分で自分を見る前のもの、というのは真実ですか」というご質問です。

 まさにその通りです。西田幾多郎博士の著書、「善の研究」の序文に、純粋経験をもとにして哲学を組み立てよう、という趣旨が書かれてあります。言葉で自分を説明した途端に自己意識がはっきり組み立てられてしまいますから具合が悪いのです。純粋経験というのは、皆さん方がまだ赤ん坊の時のような、言葉を習得する前の意識であります。

 次は「私は強迫性障害なのですが、10年ほど前に三聖病院にしばらく通院していて、宇佐先生がよく、知らなさ、分からなさ、決められなさ、と言われていましたが、そのことがよく分かりません」というご質問です。

 これは「よく分かりません」というのをやめましたらすぐに治ります。何かご助言いただければとおっしゃって、私が何か分かるお話をしますと治りません。全治というのは常にぶっつけでいきなりなものですから、最初は分かりにくいと思われるのです。(第435回 三省会例会における宇佐晋一先生の講話) 



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