三省会

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宇佐晋一先生 講話


絶対に教わらない  

 2022年7月中旬のNHK・TVで、終戦時に日本のために尽力した米軍人のなかに、のちに日本に帰化し、文化勲章を受けたドナルド・キーンさんと並んで、オーティス・ケーリ同志社大学教授の名前が出た。北海道の生まれで、アメリカに帰り戦争中アーモスト大学を出て、軍人として日本に来た。戦後間もない頃に、昭和天皇の弟の高松宮を訪ね、天皇が各地をはげましてまわられることの必要さを説き、その時は民間人と同じスーツ姿で巡幸されるようにとすすめたという。それが功を奏して、敗戦の翌年正月に天皇の人間宣言、続いて地方巡幸が始まったのである。この方の写真のなかにアリス・ケーリ夫人の姿があったので、まことに懐しかった。夫人は精神科医で、京大精神科に患者さんを連れて来られたので知り合い、私も論文の英訳の際にたびたびご自宅である同志社大学のアーモスト館にお邪魔して教えを受けた。1960年ごろアリス先生がアメリカの医大の学長で、精神科医の方を三聖病院に連れて来られた。森田療法の話をして、かなり話がはずんだ頃、その先生が「結論的に究極の治療方針としてはなにを目ざすべきであるか」と問われた。それで私が「心にお手本がありません」と答えると、アリス先生が「院長は standardlessness といっている」と通訳されるや否や、その学長先生は大いに驚かれ「標準がないって、ですか?」と一きわ声をあららげて問い返された。この会談の奇妙な幕切であった。

 入院中は心についての一切の指示がない。しかも、それが良いのでも悪いのでもなく、「ただそれだけのこと」に終るのであって、だれからも目指すべき窮極の心のあり方については助言がない。とりあえず目のまえに仕事がいっぱいあって、手を休めることができないのである。そこに選択の余地があるとすれば、今手がけている作業の質的、量的な向上の工夫である。他人が喜ぶことが目的であるといってもよい。お互いの生活のなかにおいてはそれはおのずからな感謝の形をとって湧き出るであろう。

   2022.7.17



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