三省会


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宇佐先生の講話
(平成29年11月12日)

 本日は貴重なお話をAさんから聞かせていただきました。大変結構なのは、全治が、こういうふうにしてというのではなく、突然のことだったと言われたことです。全治というのは、皆さん方のお考え、人の言葉、説明などによるものではなく、その時、その時の外への取り組みが突然の全治を実現させるのです。したがって外に向かっての、ハラハラというほどの緊張は、もうそれだけで全治の意識であると言ってよろしいのです。

 前院長は、秋の虫が長い触角を動かしている状態とか、眠っているように見える犬が寝そべっていても、耳だけは周囲の音に敏感に反応しているという見事な対応ぶりが、いきなりの間違いのない全治だと申しておりました。そして人間では自分の状態について、これで良いとか悪いとか、満足できるかどうかとか、自分のことについての考えをさしはさみがちだが、それはまったく無駄である、と続けて言っておりました。実は今年は前院長が亡くなって六十年に当たりますので、少しそういう思い出話をさせていただきました。

 前院長は患者に症状のことを決して言わせませんでした。「生活、仕事、勉強、人のお世話、何でもさっと、どんどんやりなさい」というところが生き生きとしておりまして、治す手間を省くのです。治ったらするというのではないのです。私が病院を引き継いだ時に、三省会で皆さん方に、ご自分の症状の説明をしている間は治りませんよ、と言いましたところ、皆さん方は黙ってしまって会が進みませんでした。そこで、私がまだ小学生の頃に入院されていて、三省会の役員をされていた方が、私たちは自分のことを聞いてもらいたくて来ているのですよ、やはり言わしてもらわないとね、と助言されたのです。そこで、三省会の席上だけはご自分の症状をお話になっても良いということにして、それが今日までずっと引き継がれているのです。

 前院長の治療の風格と言いますのは、学問を断絶する「絶学」と言えばよろしいのです。そのいきさつを申しますと、大正十一年に大徳寺の専門道場に入門いたしまして、初めてそこの指導者である川島昭隠老師にご挨拶したところ、老師から「どこの学校を出てきた」と尋ねられたので、前院長が「早稲田大学を出て参りました」と返事するやいなや、「その学校を捨てて来い」と、変わった指示を与えられたのです。これが「絶学」でありまして、前院長はそこから禅の修行を始めたわけです。つまり、より良い判断、解釈をすること、あるいは結論を出すことがまったく要らないのです。

 皆さん方は、今日は良い話を聞いたと思われたら、いつもそれでないというところから出発されれば、全治は間違いありません。いつもそれでないというのは、経験的な判断や結論の出し方をする前に実際の生活をすぐ始めて行くということです。

 皆さん方は自分のあり方、心の問題というのは、これからはまったく取り上げなくてよろしいわけで、これが自分だ、心だというような自己像というものはすべて主観的な虚構に過ぎないのです。ご自分では自己像を絶対確信的にお持ちになっていらっしゃるでしょうが、それをあてにして良い確かなものではありませんので、「これが自分だ」と言っていること自体が脱線なのです。さっそく外の実際の問題に皆さん方が手を出していらっしゃれば、もう全治はそこで十分成り立ちますので、それは突然、意識がパッと外に明るくなるということで、どなたにも始まると言ってよろしいのです。

 では会場からご質問が来ていますので、お答えします。

 質問:森田先生のお話の中に、「感じから始まる」といったお話があったように思いますが、それはどういう意味ですか。

 お答:人間の自己意識には、痛いとか痒いとかの感覚が発生し、また、いろいろな感情も沸き起こります。これらはもうその通りでありまして、どうするというわけには行きません。それで次にすぐ、知性が働いて、その現象をまとめにかかったり、意味づけをする、あるいは価値判断をする、などというふうに組み立てて行くところからが脱線です。
 「感じから始める」と森田先生がおっしゃったのは、実に上手に言っておられます。その感覚から、次はもう実際の仕事での工夫をしていらっしゃれば、他の皆さんのために役立つことがたくさんできます。他人から欲張りな人と言われるのでしたら、そういう他の皆さんのためになることをどんどんなされば、その欲張りは見事なものです。

 質問:絵画作品を見て様々に感じることと、その作品の作者や来歴を知ることとは違いがあるのでしょうか。

 お答:絵というものは、視覚芸術ですから、色と形を見ること以外はあり得ないのです。美というのはそういう感覚的なものでしかあり得ませんので、由来の解釈、価値的な判断、真贋の問題などというものは美とは関係がありません。色と形を皆さん方がご覧になるというところに、その美が自ずから成り立っているということがあるだけなのです。それとは別に美術史として、作品の学問的な取り扱いはもちろんあるわけで、それがいろいろ興味のある事柄として人々の注意を惹くことはまったく別の問題なのです。



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