三省会


目次

宇佐先生の講話
(平成30年7月8日)

 本日はどなた様も日常でのすばらしい精進の姿をご披露くださいまして、誠にありがとうございました。三省会にこうして参加してくださること自体が、飛躍的な真実への申し分のない徹底ということがこの場で実現します。

 皆さん方の中から「人間にはなぜ宗教が必要なのでしょうか」という非常に重要な点をお尋ねいただきましたので、これについてお話いたします。これは、宗教がなかったならどんなに困ったことが起こるかというふうにご質問を置き換えてもよろしいわけです。

  宗教がないと、自分というものについての考えを最初から信じてしまう傾向があります。言い換えますと、自分に騙されるというようなことです。そこからいろいろな気分の良くなることだけを求めて嫌なものを避けるという、選り好みが始まります。ここからは、その先どう考えを持って解決しようとしても、そこにはいろんな自分本位の考え、結論が出て、その方法探しに明け暮れすることになります。そこからは森田療法の本当の全治は出て来ないのです。

 では、どういうことで皆さん方がうまく治っていらっしゃるのかと言いますと、自己意識(自分で見た自分、あるいは他人が自分をどう見ているかという意識)に対してのみ森田療法のあるがままをしっかり生かして行かれれば、それでよろしいわけです。すなわち、自分、心というものは完全に放ったまま、心はどうであろうとまったく自由で良し悪しがないのです。ですから、心の持ち方というものはもともとありません。自分を言葉で決める必要がありません。

 これが宗教の現われでありまして、宗教がないと脱線してしまい、自分の考えにとらわれ、その良し悪しを思案してひっかかってしまうのです。結局は安心を求め、治そうとする神経症の状態に陥ってしまうのです。

 先日、皆さん方も熱狂されたロシアでのサッカーワールドカップの試合におきまして、テレビで批評家がいろいろコメントする内容に、精神面に話が行ってしまうということがよくありました。日本ではそういうことがありがちですが、その代表的な一つが、いかに平常心を保つかというものです。そういう心の安定が試合を左右するように言っている人がたくさんおりますが、これは大きな誤解です。平常心というのは、どんな心でもすべてありきたり、あるいはその場にあり合わせの状態を言いますので、特定の安定した心という意味ではありません。

 森田療法から申しますと、心の持ち方というものはありませんし、良し悪しもありません。どんな心でもそのままで、心の状態に関係なしに試合に一生懸命になって進めば、それで満点であったわけです。つまり心が決められていない、どうでもよろしいということが宗教の現われであり、皆さん方が生きる上で宗教が不可欠であることそのものであります。それはもう一切、自分、心などに言葉を使わなければ、この場でいきなり成り立ちます。

 一方、他者意識の方では、あれかこれかと必死になって考え、悩みながら、他の方々に少しでも役立つ事、あるいは世の中に幸せをもたらす事柄に向かって骨を折るということが精進でありまして、それは決して心がけの問題ではありません。どんどん実生活に取り組んで行くという簡単なことで、この療法の趣旨である「あるがまま」が自己意識の中に自ずと生きて来るわけです。

 そこの所を間違って「あるがまま」を求めないことです。自分についてはどうなろうと知ったことではない、自分の方からは何も求めて行かない、自分というものはこうだということを持ち出さないということです。

 浄土宗や浄土真宗では阿弥陀如来にすっかりお任せします。「南無阿弥陀仏」の意味を解釈する必要はまったくありません。他者意識のことだけに気を配って、他の方々のために努力なさるということで満点です。自分に騙されることなく、自分が言わば主人公になってその場、その場の状況を判断して物事に対処していくことです。物事の選択に迷った時には、前の院長は、立てた鉛筆が倒れた方に進みなさいと言ったぐらいで、迷った所でもたもたせずにどんどんさっと目の前のものにとりあえず手を出して行くというところが、全治の偽らない見事な姿であるわけです。

 いきなり実生活での状況、その場、その場の複雑な環境の変化にすぐに応じて行くのです。それはつまり自分を客体化しないということです。自分で自分を治す対象にしないことです。考える対象は心ではなく、いつも外に、目の前にあるのです。

 森田療法というのはもちろん宗教ではなく、森田神経質の方に対する特殊療法ですが、他の治療法にはない、自分を決めない、自分を知ろうとしないというあるがままの特色は、まさに宗教そのもの、あるいは禅の現われと言ってよろしいのです。

 本物の森田療法を日常でいつも実現しようとしましたら、前の院長が申しておりましたが、机の上を見渡して行って、目についたものや手に触ったものが、皆さん方にとってなくてはならないもの、たとえばお茶碗にしろボールペンにしろ紙にしても、よくもこれほど便利なものを発明し作ってくれたものだと感謝することです。



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