三省会

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宇佐晋一先生 講話


マインドフルネスに関係なく治るのが本もの  

 森田療法が説明的になって来た最近の傾向は、私にしてみれば残念の極みである。学習しても治らないと思う人は、ついほかの治療にも目が行って、たとえば認知行動療法が広く行われている現代では、その究極の全治の姿とされるマインドフルネスにも関心を寄せられるに違いない。魅力的なことばであるから、森田療法の全治との比較まで考えられることもあるであろう。早合点をする人の中には「マインドフルネス森田療法」という新語まで作ってしまった例が森田関係の治療雑誌に見られて驚かされるのである。ここではっきりと森田の側から批判しておかねばならないであろう。

 マインドフルネスとは「今ここでの経験に評価や判断をすることなく、能動的に注意を向けること」と定義され、うつ病・不安障害における抑うつや不安症状の改善に効果があり、労働者におけるストレスマネジメントプログラムとしても活用されている。その趣旨は「今ここの経験」という自己意識内容の哲学的なとらえ方に、"禅にも似た否定" が加えられる点に大きな特色があり、賛意を表したい。しかし「能動的に注意を向ける」は対象が明確でないのがしまれるばかりでなく、意識のあり方に方向性を指示しているために、消極的な心には負担が増すのである。その点森田では意識内容に関係なく、必要な仕事を始めることを指示する。高良武久 東京慈恵会医科大学名誉教授によれば、森田は「道が二つに分れた場合、困難なほうを選べ」といったという。これは本に書かれていないことで、福岡での学会において挨拶の中でいわれ、大いに感銘を受けた。森田の弟子の古閑こが義之 元聖マリアンナ医大学長は、これとは反対に「手近な、やりやすいものから手をつけろ」といった。これはとりあえず仕事に着手するうえに役立った。「入院中に宇佐玄雄げんゆうから『足を使ってでもいいから座布団のいがんでいるのをそろえなさい』といわれてやったのがよかった」というK神戸大学法学部名誉教授の体験談もある。金沢大学医学部学生だったOさんは作業室で「こんな作業をして神経症が治ったらノーベル賞もんじゃ」とぼやいたが、立派に治って医師になった。私は冗談でなく世界的な偉業と賞賛するものである。  

   2021.9.21



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