三省会

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宇佐晋一先生 講話


そうある  

 皆さん方から実に様々な、困難な状況の中を見事に乗り切っていらっしゃる良いお話を伺いまして、今日はもう最高にうれしく思います。

 今年の年頭は大変なことでありまして、皆さん方が初詣にいらっしゃった後の4時10分、能登地方に大地震が発生しました。これは大変なことでした。

 ところで、私が申しあげたいのは、初詣は良いことですが、祈願はいけません。つまり家内安全、健康長寿、合格祈願とかです。とにかくご自分のお願いしたいことを神様に片っ端から祈願いたします。これでは私どもが申します「真実」からは見事に脱線してどうにもなりません。ところが元旦の能登の大地震で、そちらの方にくぎ付けになり、あらゆる情報をテレビで知ろうとし、ずっとそのことに一生懸命でした。これでもう間違いなく、森田療法の本物が、真実に生きるとか、全治とかというものが自然に成り立ったと言えます。そういう点では大きな転換が起こった元日でございました。

 私は「あるがままの世界」「あるがままの生活」に続いて三番目の本を出す予定で、東京の出版社に編集を依頼しているところです。私はその題名を「不安、緊張、悩みの瞬間的解決」というふうに原稿を整えていたのですが、出版社ではビジネス本のジャンルのような題名はやめて「不安、緊張に悩む人への心の講話―全治への道 森田療法」という長い題名にして出したいということでした。それに対して私は、その題名は間違っていると申しました。

 「全治への道」というのは森田療法にはありません。「全治の道」だけがあるのです。それで本の題名は「不安と緊張に悩む人のための心の講話と全治の道―森田療法家・宇佐晋一の思い―」という名前になりました。どうぞご期待頂きたいと存じます。

 宮沢賢治が昭和6年に手帳に書きつけました、「雨ニモマケズ」ですが、私どもの今の観点からすると、具合の悪い点がないことはないのです。
 「雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ―中略―ミンナニデクノボウトヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニワタシハナリタイ」とあります。これは自己意識を忘却して、見事に他者のために尽くしている姿で、それを目指すのですが、最後に「そういう者に私はなりたい」としたばかりに、そのなるための骨折りがまた必要になって来るわけです。皆さん方はそうあることだけを目指していらっしゃれば、なるということに引っかからずにすみます。今日ご質問頂いた方の中には、なることを目指していらっしゃらないだろうかと心配するわけでございます。

 それでは会場からのご質問にお答えいたします。

 「私はいくじがなく、目標が高すぎるのか、完璧を求めてしまうからなのか、すぐ飽きてしまったり、嫌になって投げ出してしまいがちです。どうしたら良いですか」というご質問です。
 目的がはっきりしている以上、その達成に向けて、もう嫌であろうとなんであろうと、つまり心に関係なく、その目的を果たす方への努力をするばかりです。

 次は「私は間違い恐怖です。物事をする時に間違っているのではないかという心配が発生して、間違っているのではないかという思いを無視することができません。どうしたら良いでしょうか」というご質問です。
 これはもう間違っているのではないかと思いながら、どんどんそのお仕事を進めて行けばよろしいのです。つまり、安心のできる答えを後回しにしてお仕事本位にやっていらっしゃればもう満点で、今の瞬間から治ってしまわれます。この一番気になることに足を引っ張られてどうにもならないというような、ご自分をずっと見ていらっしゃるからうまく行かないのです。心がどうであろうと、症状がどうなっていようと、外の問題に遮二無二取り組んでいただきたいのです。それで本治りです。

 次は「経験のない新しい仕事への取り組み方について教えてください」というご質問です。
 これは世間ではいかに経験ということに土台を置いているかということを元にしたご質問でありまして、森田療法の全治は経験に関係ない治り方をします。「これでうまく行った」「これで分かった」という本がたくさん出ていますが、森田療法は経験を超えるのです。ですから、懸命に仕事に取り組んで、どうしよう、こうしようと、そればかり考えて進んでいらっしゃれば、経験に基づいた、今までこうだったからこれでうまく行くだろう、というような考えはもうまったく要らなくなります。

 次は「先生がおっしゃっている、ストーリーを作らない、こうすればこうなるというような筋書きを作らない、ということはどういうことなのか教えてください」というご質問です。
 これは、自分というものはこうであるとか、心というものはこうだ、ということを作らないことです。論理と言葉を自分に使わないということで見事にこの瞬間から治ります。先ほど本の題名として「瞬間的全治」と申しましたが、これより他にないのです。「全治への道」としたら治らなくなります。あるのは「全治の道」ばかりです。全治というのは、仕事を始められた瞬間から成り立ちますので、前の院長は、面白い表現ですが「治ったふりをしなさい、治った人として生活しなさい、それでよろしいのです」と申しました。「その治り方はお釈迦さんの悟りと一緒です」とも申しておりました。お釈迦さんは約2500年前の12月8日の未明に明けの明星を見て悟られたという話が伝わっておりますが、何か分かって悟りを開かれたのではなく、まさに明けの明星を見て、その瞬間に「事実のままのみ」と見抜かれたのです。

   2024.1.14



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