三省会

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宇佐晋一先生 講話


自分の心にテーマをもつのは間違い  

 多くの人びとは心のあり方が大事だという共有の認識をもっている。それは逆に好ましくないという状況についての見解がほぼ等しいということからもわかることである。たとえば嫌われるのはきまってストレスであり、不安や恐怖であり、不幸である。快楽の経験に伴って脳内に快楽物質エンドルフィンが出てくる。それに関与するのは脳の外側被蓋野と、そのそばの腹側核である。この経験が蓄積されて脳に快楽追求の意欲を生じ、心の快楽原理を確固たるものにしているので、かえってここから心の安定の道は開かれない。

 心の問題は生きるうえに優先的に解決しておかねばならないことは百も承知ながら、一般にはとりあえずの苦痛を解決することに注意が向き、なにか他のことをすることでまぎらして、それで解決したような気になっている。脳の仕組みは知れば知るほど快楽についての理解は進むが、逆に苦痛の解決からは遠くなって、見えてくるはずの道が見出せず、ただ迷いのみが暗く残って、行く手をはばむのである。自己意識内のテーマが邪魔するのである。

 筆者は昭和2年(1927)生れで、戦時中の精神教育を受けた人間だが、若かった当時を回想して、いちじるしい様相の違いを感ずる。それは非常にはっきりと心の目標が自己意識でなく、外の世界すなわち他者意識のなかにあったということである。「お国のため」「天皇陛下のため」に勉強し、勤労動員で福知山市長田野(おさだの)の飛行場建設にも行った。自分の快楽追求や苦悩除去といった自己意識の目標はもたなかったが、そこにおのずからな安定があった。まさに森田のあるがままである。

 このように自己意識内に目標をもちこまない意識がどうしたら得られるのかと問われるならば、その答を出すまえに早速さっそく仕事や介護、他人のための細やかな気配りとお世話、芸術の制作活動などを始めるとよい。天草市の原田益喜さんから「夏目漱石の『こころ』を読んだが、(登場人物が)自分のことばかりいっている」という指摘の私信をいただいた。たしかにこれでは解決は得られるものではないが、これは文芸作品であって、人生の指針ではないから仕方がない。作中乃木希典大将夫妻の明治天皇崩御後の殉死が出てくるが、これは崇高な行為ではあっても、自己意識からの行動であることはまぬかれない。   

   2021.6.11



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