三省会

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宇佐晋一先生からの
メッセージ
令和2年9月18日


本当は治らないでいることはできない  
 仮想現実空間、バーチャルリアリティといっても、他人ごとのようにしか思えない。「自分はしっかりこの現実社会に、地に足をつけて生活している。その証拠に社会生活の苦しさを嫌というほど味わっているではないか」と思いがちである。実はその社会の生活のしにくさこそがバーチャルリアリティの中でさけられない苦しさなのである。もしバーチャルな世界を脱して、真実に生きるならば、だれでもただちにとらわれのない解脱げだつの道を進むことができる。

 不安や恐怖や悩みは、ことごとく "自分で見た自分" がかかわる自己意識のなかに生ずる。他人のことを心配している人には神経症性障害は起こらない。それは他者意識のなかで精神的な緊張のたかまりがあるからである。その時の自己意識のあり方が森田療法で重要視する「あるがまま」なのであって、ほかならぬ全治の状態であり、治ったといってよい。それはそうなろうとして自己意識の努力でなれるものではなく、他者意識がなんらかの外界への取り組みで明るくなると自動的に生ずる自己意識の暗くなる状態である。森田がよく「君はもっとハラハラしたまえ」といったというのは、この他者意識の明るくなる外への取り組みをうながしていたのであって、森田の着眼のすばらしさに改めて敬意の増すのをおぼえる。外への緊張への緊張の時は治らないでいることはできないのである。

 昭和20年(1945)の春に、はじめて静岡市に空襲があった時に臨済寺の住職であった倉内松堂老師が、のちに京都の妙心寺の管長になってから笑って話されるには、ちょうど洋服屋の人が来ていて爆撃が始まり、逃げるに逃げられず、腰が抜けて座りこんでいたら、気がついた時は洋服屋はもういなかったという。そこで「禅僧がこんなことではダメだ」と修行をやりなおしたそうである。この話は極度の精神感動のために仮性運動麻痺が起こったもので、修行の不足によるものと見るのは当たっていない。
     宇佐 晋一
  (2020年9月18日) 



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