三省会

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宇佐晋一先生 講話


自信はまったくいらない  

 今ほど自信について考えるのによい時はない。ついこの間まで人生に自信をもつことほど大事なものはないと思っていた多くの人々も、自信ひとつで新型コロナウイルス感染症、なかでも感染力の強いデルタ株に立ち向かえるものではないことがよくおわかりになったであろう。自信は自己意識における自己評価なので、これほど主観的で、あてにならないものはない。それにもかかわらず自信をいわゆる精神力の中核をなすものであるかのように考えて、オリンピック・パラリンピックの選手の評価の表現のなかに頻繫ひんぱんに使われてきた。困ったことに自信は勝つことによって増してくる。それはその人の経験に密接に結びついて、ひとりでに増減するという自己評価のなりゆきから、いくら「自信はいらない」と声を大にしていっても、やはりあったほうが生きやすいため自信をもとうという空回りは後を絶たない。

 そこで真面目な森田神経質の人は主観的な自己評価の意図的な、したがって架空の、心理的安定を目ざして、無駄な自信増強策のあらん限りの工夫に、つい手を出してしまうのである。なにを隠そう、この私も、かつてはその1人であった。当時このことは森田療法に関係がないと思っていたからである。森田神経質の人のとらわれは、等しく自己不全感に由来すると考えて誤りはないが、よく考えてみれば、自信をもとうとすることは自己不全感の裏返しで、とらわれの方向はまったく同じなのであった。

 こういうことをはっきりと教えてくれる人にはなかなかお目にかからないので、いつまでも自信をもとうとして悩む人が多いのを見るにしのびない。そこでちゃんと責任をもって申し上げておかなくてはなるまい。-----突然ながら今、オリンピック最終日の早朝を飾る男子マラソンの先頭集団が北海道大学札幌キャンパスに入って来た。「青年よ! 大志を抱け」のことばで有名なクラーク博士の銅像のまえを走りぬけた。彼が「大きな自信をもて」といわなかったことに改めて感銘を覚えた。「大志」は正に広い他者意識の世界を指し示すもので、自己意識には関係がないことを思うべきである。

   2021.8.8



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