三省会

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宇佐晋一先生 講話


『心のケア』は禁句  

 2025年1月27日のNHKの「100分de名著」の時間に神戸市立西市民病院精神科医長であった故安克昌医学博士(1960〜2000)の著書『心の傷を癒すということ』が選ばれた。著者は1995年1月17日の阪神大震災を身をもって体験し、当時神戸大学精神科医局員として、中井久夫教授の指導のもとでこの広域な難局に当たって、前例のない精神医学的な対策を発足させ、次々と実践に移されていった。この人びとの心に寄りそった積極的な援助に神戸の被災者がどれほどの精神的に救われたか測り知れない。精神医学的にも大事業であった。その経過とともに、新聞に継続投稿されたのは大変良い手段となり、この事業の推進に果たしたメディアの役割は大きいものがあった。その集積が今回の図書の成り立ちなのである。

 そこに大きな悲劇が密かに近づいた。末期肝臓がんである。彼は入院をせずに出産が間近な妻を力づけた。しかし力尽きて第3児出産後2日して、この世を去ったのである。40歳になる直前のことであった。

 ところで、問題は「傷ついた心を癒すということ」のその根源に遡って、存在するのを見逃すことはできない。医師の立場としては立派なものがあるが、癒される側の人びとのことが取り上げられていない。はたして傷ついた心は癒されなければならないものなのであろうか、ということである。

 結論的に端的にいえば、心が癒されようとする所から悩みが始まるのである。癒し・癒される間柄に自己意識内容の概念化が始まり、抜き差しならぬ心のしがらみが生ずるのである。この概念化の前に解決しなければならないという大事な要点が忘れられて、常識に打ち負かされているのが世のつねである。

 どうすれば良いかーはおのずから明らかである。心の問題はつねにそれの計画的概念化に導かれてはならない。すぐ緊張の業務に取り組んで自己意識を概念化しないで前進すれば、心のケアなどはいらないのである。

   2025.2.10



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