三省会

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宇佐晋一先生 講話


メンタルトレーニングはせずに競技に専念を  

 東京オリンピック・パラリンピックを迎えて、アスリートたちのためにアメリカの脳神経科医がメンタルトレーニングの必要さを説くテレビのスポーツ番組を見た。いささか泥縄式の感があるが、多くの人はやはり、しないよりはしたほうがよいにきまっている、と思われるのではないだろうか。ところが、一切してはいけないのである。メンタルトレーニングで精神面を整えて勝負に打ち勝とう、というような常識的な呼びかけに引っかからないことが肝要である。禅宗の坊さんで、精神科医でもあるという方がテレビに出られたので、この方なら大丈夫だろうと思ったら、認知行動療法なみにマインドフルネスを目指すものであったので、残念であった。

 心の問題の解決にとって日本には鎌倉時代以来 決定的に即時に達成することのできる道が開かれていた。それを精神医学的に解明し、同時に的確な精神療法を確立したのが森田正馬 東京慈恵会医科大学名誉教授(1874~1938)である。この治療法の発見は今から100余年前の1919(大正8年)~1920(大正9年)ごろであった。私の父、宇佐玄雄(げんゆう、1886~1957)は1919に卆業した森田療法創設期のもっとも古い弟子である。彼は小学校4年から禅宗寺院に養子として入り得度し、早稲田大学(インド哲学)を卆業。京都の大徳寺僧堂に入って、雲水として修行した。寺の住職になってから医学に志し、東京慈恵会医学専門学校に入り、森田に精神医学を教わる機会を得たのは幸運であった。森田神経質の人たちが自分の不完全な所、たとえば不安、心配などに注目して、それを熱心に治そうとしても思うように治らないことにとらわれて、ますます工夫して完全に治そうと努力すればするほどどうにもならなくなるのを、禅の「偏計所執」(へんげしょしゅう)と同一心理と看破かんぱし、森田が見出みいだした人間心理には普通論理に従わないもののあることの発見を、父は禅の不問不答の理窟抜きの生活の姿に重ねて、三聖病院におけるなにより仕事中心の森田療法の実践において好い治療成績をあげることができた。そこには一切メンタルトレーニングなどあってはならず、医師 - 患者の関係を離れた共に修行の生活がすべてで、それが全治にほかならなかったのである。

   2021.7.22



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