蟹満寺釈迦如来について
J R奈良線の棚倉駅から北へ流れる木津川の東側のゆるやかな河成段丘をずいぶん歩いた山寄りに蟹満寺はあった。木津川市綺田(かばた)である。小さなお堂ではないのだが、お堂が小さく感ずるほど釈迦如来像は大きく見えた。1951年ごろの春であった。薬師寺本尊のような明るさは見られず、人を寄せつけない渋さがあった。
1900年から7次にわたる発掘調査が行われ、本堂は本薬師寺(もとやくしじ)のような一流寺院並みの規模をもっていたことと本尊の位置が創建時から動いていないことが明らかになった。
今年4月15日に棚倉駅に近い木津川市山城総合文化センターで蟹満寺シンポジウムが開かれ、東西の専門家が約200名も集まった。午前9:30から午後5:00まで熱い議論が続いたという。
日本の古代の5大金銅仏といえば①飛鳥寺の飛鳥大仏。②山田寺(現興福寺宝物館)仏頭、③薬師寺金堂薬師如来。④同寺の講堂弥勒如来と⑤蟹満寺の釈迦如来が知られている。①は止利仏師作の飛鳥時代のもので別格だ。②の山田寺仏頭は天武14年(685)の作で、問題はない。③薬師寺金堂薬師如来は本薬師寺の本尊が薬師寺に移されたとする説に持統2年(688)と持統11年(697)の2説があり、遷都後鋳造説は養老2年(718)説である。
当日の結論は腕の中の型持ち土のC14年代からは650〜695年に帰属(確率58.2%)や瓦の様式観などから総合的に680〜690年と推定されたそうである。それから意外に銅の厚みが薄く、全体として軽かったこと、アマルガムによる金メッキではなく、金箔の漆ばりであった。
さて瓦はどうか。軒丸瓦だけで、4種類あり、周縁の段違いの鋸歯文をもつ複弁蓮華文で子房がやや大きく蓮子が2重輪表現になっている。一番新しいと思われるのは周縁が雷文になっている。古いと思われるものでも蓮子が9つある。軒平瓦が見つかっていないが、恐らく法隆寺式の忍冬唐草文がセットになるのであろう。現法隆寺の軒丸瓦の子房の蓮子は17箇である。蟹満寺の瓦は現法隆寺の直前とみるのが私の見解である。
2024.10.26