三省会

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宇佐晋一先生 講話


宇佐玄雄の「そのまま」  

 三聖病院があった頃、前院長宇佐玄雄の講話は私も入院中の人とともに必ず聞いていた。内容はわかっていることばかりであったが、微妙ないいまわしに独特の工夫があって、今にして思えば森田療法の解説書ではけっして味わえない直伝じきでん的な妙味を感じさせるものがあった。

 恥ずかしい話であるが、医師になりたての頃、父のやり方でどうして森田神経質の症状が治るのか、不思議に思えて、昼間の京大精神科での治療に感化されていた私は、容易に父のやり方になじめなかった。治療の実績のすばらしさから、ようやく本当のところがわかり出したのは、1957年(昭32)2月14日に父が他界して29歳で院長となり、治療の責任者となり、講話の回数を週3回にふやして本格的にやり出してからのことであった。どうしても大学での治療は個別性が重要視される。それだけに個人的な悩みに寄り添って、その心理的要因を詳しく聞き出すことが当然のこととして重要とされていた。ところが父の森田療法では、初診時を除いては、症状や心理について聞けば聞くほど叱られた。

 自分が講話をするようになって気がついたのは、問題の所在は個々の症状発生の契機なのではなくて、実に単純な自分へのとらわれという点が苦悩の共通点であり、すべて自己意識内容を概念化したうえ、自分が楽になるように、知的に心手を加え、複雑に加工する過程で、ニッチもサッチも行かなくなっているのであった。はじめの頃私は講話で、1人1人のとらわれの特殊さを解説しようとして無駄な努力をしたが、それはまったく必要のないことで、むしろしないのがよいということが、大勢の人に話す講話で、やっとはっきりとわかったのであった。

 さればこそ宇佐玄雄の講話で、すげなくも「『そのまま』といったら本当にそのままですよ」と突っぱねるようにいい、そのままについて、「ああそのままか」などと考えをさしはさむ隙を与えなかったのである。今ただちに外界の他者意識上の工夫を始めれば、他人の喜ぶ顔を見るまでに全治しているのである。

   2022.8.9



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