三省会

目次

宇佐晋一先生 講話


全治の極意  

 この1年で警察に悩みごとで相談した人が84.200件にふえたという(警視庁調べ)。しかもこれらの相談の内容が「死にたい」ということだったので問題は深刻である。テレビで見るかぎり、その対策にはその人の心境を聞く人が必要とされる。他人に話を聞いてもらい、親切な助言を受けることができれば幸運であるに違いない。そこで疑問に思われないであろうか。もしカウンセリングで解決するのなら、なぜ森田療法では入院をすすめたのか。それはけっして病状や、相談内容の深刻さの程度によるものではなかった。

 森田療法における入院生活はコミュニケーションから離れた状態を人工的に作り出すのである。鈴木知準先生の話によれば昭和2年(1927)の入院中、第1期療法の間に森田正馬先生は1度も顔を見せられず、ただ奥さんが3度の食事を運んでくださるだけだったという。これでは話し相手がいないのも同然である。そこに独創的な治療があるわけだが、それは悩みの相談をしようにもできない1週間なのであった。つまり自己意識内容を組み立てても、答えの出しようもない、中ぶらりんの自己意識で、悩みは解くすべもなく、悩みのままにもっているほかはなかったのである。驚くべきことに第1期絶対臥褥期において究極の状態が現れる。けっして治療の最終段階ではないというこのことは、とても普通には信じられることではないであろう。  

 私は昭和25年(1950)に医師になって、京大の精神医学教室で学び、家では昭和32年(1957)2月まで父の入院森田療法の指導をうけた。といっても特別秘伝というようなものを教わったわけではない。ある時の講話で「長野市の善光寺の本堂の床下の戒壇めぐりは全治の極意ですよ。1度行ってごらんなさい」と珍しいことをいった。父が亡くなった年 昭和32年(1957)の10月に善光寺の宿坊で日本精神病理・精神療法学会が開かれた機会に本堂の床下へ降りた。そこで2回道が折れ曲がるともう真っ暗で、あとは手さぐり、足さぐりで進むほかなかった。いかなる理論学習も経験も、なんの役にも立たなかった。これが本当のあるがままである。やっと明るい堂内に上がってきて、あとは善行精進あるのみと思わずにはいられなかった。

   2021.4.17



目次