三省会

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宇佐晋一先生 講話


心に関係のない生活のはじまり 



 講話をいたします。

 講話は、皆さんが、ひとひねりふたひねり工夫をそれに加えて、もっと身近にもっと自分にぴったりのもの、というふうによくお考えになって、それから効果が出てくるというものではなくて、ですね、皆さんがお考えになる前にもうその究極の本物の皆さん方が、最も生き生きした今晩ここでの本来の皆さんの持ち前のお姿が、なによりも先に現れて、ですね、それを皆さんが、本当の姿と認めようとなさることに時間がかかる。というのが実際ですので皆さんの優秀な想像力がかえって馬鹿をみるんですね。

 つまりそれだけ、こうだろうかああだろうかと、本当のところを手探りでいろいろ想像しながら、本物をしっかりとつかもうとやりくり工夫をしていらっしゃる間、かえって肝心かなめの本物が、ご自分の中に探し物をなさること、その知的なやりくり工夫に妨げられて、そこに現われてこないという皮肉な事柄が、皆さんのそのお考えによってそういう状況になっているという、考えてみればおかしなことでありますけれども、心の中あるいは自己意識の中という世界は、皆さんがお考えになっているその合理的な常識的な筋の通った考えのまったく当てはまらない、まったく異なる論理の支配する世界であるものですから、これはどうにもならないんですね。

 したがって、もっといい考えがあれば、今度はこの私どもにですね、もっと親切なヒントがあれば、事柄はぴったり皆さん方のお望みどおりのものとして、そこに見えてくるんではないかという、その期待を込めた皆さんの推理は、ですね、ことごとく覆されてしまうんですね。

 したがって心の問題に、なにか気の利いた世間の誰もかれもがいわないような、ぱっとした何かが必要なのではなくて、肝心なのは皆さんのお考えが、とくにご自分の大事な問題についてその役割をはたそうと、まっ、当然そうだろうと思っておられるでしょうけれども、皆さんのお考えによってこの目的が達せられるというその見通しを離れて、あらためてやめて、ですね、それで直ちに今晩の実生活、ここならば人の話を聴くというその実生活に、この場の目的をはっきりと見定められれば、それがほかならぬ願っても得られなかった全治の姿に相違ないんですね。

 この、考えによることを離れた、こうだろうという推理に基づかない、目的から離れたところに本当の生き生きした皆さんが、ご自分の工夫によるのでなしに、お望みどうりの究極の真実そのものとして、それをあたかも見えないように覆っていた余計なものが雲があるいは霧がはれるように、ですね、すうっとこう皆さんのお考えから、皆さんご自身についての余計な憶測を見事にぬぐいさって、本物がこの実生活の真っ只中に、しかもいつもかも現れるという幸運は、ですね、必ずや皆さん方の今晩のご自分についての熱心な追求のそのお考えが、なんらかのひょうしに遠のいたところ、離れたところ、なくなったところに俄に現れるんですねえ。

 その、あたかも入れ替わりという劇的な瞬間は、ものを知るという頭の重要な働きの範囲外のところでありまして、ですね、皆さんが、お小さいときから、ずうーっと勉強して、何回となく数えきれない大小の試験をお受けになってこられたその教育の埒外にあるんですね。教育で示されていた抽象的論理的な思考、考えですね、それの範囲外にあるんですね。

 このごろはらちという言葉はどうですかねえ、埒も無い。というぐあいに残っておりますか、あまり使うこともないかもしれません。

 学校教育の延長上にお望みの治った状態、全治の状態が皆さんを待ち受けているということがなくて、教育を離れて、知的な類推、たぶんこうだろうという予測を離れて、まったく趣の異なる実際生活の真っ只中に、それこそ期せずして、期せずしてというのは予期せずしてということですねえ。

 たぶんこうだろうという予測に完全に関係なく、もっと簡単にいえば皆さんの心に関係なくそれがもっとも確かにそこに明確に現れるんですね。ですから、わかりにくい、かすかな、あやふやな、ぼんやりした、あるのかないのか見極めがつきかねるような、ある精神の現象ではなくて極めて明確な、そうであることが先で皆さん方のお考えが後である、というその事実の行き渡った姿。それは、ちぐはぐとかね、むら、あるいは多い少ない、時によって違う、という不確かさをまったく持っておりませんのです。

 ここにいらっしゃる方はもう見回して、いつも思っておられるでしょうけれど、非常に知的なその推理能力において人に負けない、つまり心の問題以外ではとても賢い、知的な処理の得意なお方でありまして、ですねえ、その限り外の事柄を解決する上に、まるで特技であるかのように有能さを発揮されるんですね。ですからそこはもうまったくが問題がない。

 どうしてそれほどの優れた知的能力を持っている方が、ご自分の心ひとつを解きかねてこうも悩まれなければならないか、ですね。ご自身でもそれは、おそらくおわかりにならないほどの不思議なことであるに違いないですねえ。

 外のことが、理論化された細かい分析力で抜け落ちたところなく、ぴちっと繰り返し正確な答えを出して進んで皆さんのお仕事を処理していらっしゃるのに、どうしてもっと身近な心の中の問題が、そのように順調に解決できないのか、ですね、まったく不思議に思われるでしょうけれど、それは世間の人の見極めが甘いわけでありまして論理が異なるんですねえ、違った世界なんです。

 まったく、外のやり方で自分の心がうまく解けるということはありえないのでして、それを今晩、科学者としての皆さん方が事実に基づいて、ですね、心の中は心の中の事実に従って、それを考えた外の科学者としての皆さんの物事の処理の仕方を応用しようとなさらなければ、ことは簡単に間違いなく、ほっといても皆さんの努力に関係なくいらなくて、ですね、それがいらなくて皆さんの最も欲しいと思っておられる状態が、この瞬間にも現れてくるんですね。ですから難しい問題がだんだん解けていく、解決されるのに暇がかかる、あの感じとはまったく違うんですね。

 この心の問題を対象にして努力が続くかぎり、それは自己意識の中のやりくりですから皆さんの仕方が悪い、あるいは熱心さが足りないという理由によることなく、それとは関係なしに、いままで磨いてこられた知的な問題解決の能力が、論理の異なる世界である心の中、自己意識の中におきましては、まったく無力であったと。それは通用しないのですから何も不思議なことではなくて、押し進めようとしたことのほうが間違いであったんですね。

 森田先生も1919年、大正8年の古い論文で書いておられるとおりのことを申し上げますと、「感情ニハ普通論理ニ従ガワヌモノアリ」と、普通の考え方、物事の処理の仕方では心の中が解決できない。ということをはっきりと述べておられて、まったく敬服いたしますですね。

 そういう大事なことを、せっかく森田療法をやかましく論じ、押し進めようとする人々でさえも、もう遠い昔のこととして忘れてしまって、けっこう筋を通して心の問題を、例えば「恐怖突入」などと、もっともらしくいっているのは困ったものでありまして、人間の知能、それは外に向かっては問題解決ですねえ。内に向かっては外からの情報を学習する、吸収するという、その二つの大きな働きをもったものです。それを外の物事を対象にこれまでどおりお使いになる分には何も問題はありません。ところが自分自身あるいは心を対象にして、ご自分の優れた知能を自分のために使おうとされますと、相手が悪い。相手っていうのは自分の意識の中ですねえ。論理の異なる世界ですから分かる形で解決を推し進めようとする、その努力があるかぎり、これはうまくいかないんですね。

 で、ちょっともそれはおかしなことではなくて、そういう事実に基づいて皆さんが真の科学者として、ですね、外の理屈は外の事実に基づいて理論化されたものであり、心の中は心の中の事実に基づいて見極められれば問題はない。それは外も中もいっしょ。というふうに世間一般に考えられていますから、ですね、その扱いの区別がなされていない為に、いたずらに心の問題ばかりが難しいこととして大きな課題となって皆さん方を苦しめるんですね。

 ここまでお話してきますと、外は外の事実に従い、心の中は心の中の事実に従うと。これが真の科学者としての皆さん方のありようでありまして、ですね、そこには普通の論理しか通用しない頭の中の知的な考えはもはや無力である。というところで見極めは極めてはっきりして、あと実際の皆さんのお仕事、生活、勉強、この場の社会生活という身近な問題から遠い、国としての諸問題、あるいは国際間のこと、さらには宇宙空間のことに至るまで、外はますます皆さん方のこれまで以上に大きく活躍の羽を広げていらっしゃる世界が広がっているんですね。

 そうしますと、自分に相手になったばっかりに、自分を普通の論理で解決しようとしたばっかりに、そこにだれしもがひっかかる。これは個人的な問題ではなくて、人間の心の仕組みとしての共通の事柄でありますから、もっと一般化して分かる形にしていってくれたらいいのにと思われるでしょうけれども、一般化という事柄は外の論理でありまして、それと異なる心の中の話を中で一般化することはできないんですね。つまり、どんな説明も心の中の自分対自分の問題の解決には役立たないんですね。

 ですから皆さんから離れて、他人があるいは心理学者がといったらはっきりしますね。学問、心の科学としての心理学の目で皆さんの心の問題を、外の論理と心の中の論理、筋とは異なるということを明らかにすると、これはできるんですね。心というものは、と一般化することができる。まさに心理学はそういうようにして体系づけられた、心について最もよく知ることのできる学問です。それが役立たない。無意味だ。といっているのではなくて、外の世界にはそれはそれで十分、学問として成り立つのですけれども、他人が皆さん方に対して、たとえば私が皆さん方に対して、心理学や精神医学を学問を基にして考え、森田療法でさえも森田療法学として、ですねえ、学問としてこれをさらに発展させる。ということはできるのですけれども、ひるがえって皆さんご自分の心を自分でどうするかと。ここでうまくいかないという話をしているんですね。すべて客観的な外から見た話ならそれは簡単なことです。けれどもその簡単なことも世間では曖昧ですけれども、そういう心の中の問題を心理学的に分かる形にとらえなおせば、それでよく説明ができますから、それで責任が果たせたように心理の専門家も思うかもしれないですねえ。けれどもそれは説明がうまくいっただけであって、実際治すという場面におきましては、今日お話しております、このようにですねえ、その応用を離れてはじめてその本来の姿が間違いなく現れるんですねえ。

 ですから森田療法を使って、あるいは心理学を使って自分を治そうと、自分を目的に、自分の治ることを願って、自分を相手取った工夫を皆さん方がなさっている限り、どう工夫なさってもうまくいかないんですね。ただ、ほかの精神療法、心理療法に比べますと、唯一森田療法だけは、その自分対自分の問題にどのような答えを出してもうまくいかないのを見越して、説明的ではありますけれども、症状をあるがままにする。という、ほかの治療法に見られない確かな心のあり方を示す親切さがあるんですね、それが森田療法の特徴です。しかし受け取った人、聞いた人が「ああ、あるがままか」と「症状をそのとおりにしているんだなあ」と普通の論理で考えていらっしゃいましたら、これはせっかくのあるがままも役に立たないんですね。

 普通の理屈を離れた「あるがまま」あるいは筋書きなしの「あるがまま」分かる形でとらえない「あるがまま」ですね。そういう持って回った言い方で本当のものを示す以外にちょっとこれは難しいですね。

 ここまで簡単に申しますと、話を難しくしたのではけっしてありませんです。むしろ皆さん方のご負担がまったくない状態を間違いなく示そうという工夫で申し上げておりますので、人生の半分を占める自分の問題が、ですね、あるいは心の問題が、この講話をきっかけに今晩用事がなくなるというほどの見事さでありますから、見事さっていうのは私の説明を褒めてるんじゃなくて、森田先生の見抜き方がすばらしいんですね。

 ですから、この療法の凄みっていうのは、まるで地球を真っ二つにするほどの迫力をもっているんですね。そうでなくて皆さんが「こうかなあ」「ああかなあ」とこう、いままでの困難に直面して、想像された様々の場面のどれが本当か、などというあれ式のことではないんですね。きっぱりと、それは凄いものでありまして、もう皆さんがこうしていらっしゃる真下に地球がない。というほどの凄みをもっておりますので「ああだろう」「こうだろう」という、もっともらしい見解は心の問題にはすべて甘い、あるいは当てはまらないですね。

 こちらからのお勧めは、普通論理で攻めていく、追求していくという、それを心の問題についてばかりは、もう今晩かぎり今かぎりおやめになりまして、ですね、ほんの少しも分かることも残らない、こうだああだと決めることも残らない。それを、はっきり心の問題において全面的に推し進めていらっしゃると、ですね、それが今晩の間違いない全治を瞬間的に実現する大きな道であるんですね。

 簡単に申しますと、考え方でないという話をしているんです。難しく思っていただいたかもしれませんけれども、心の問題が皆さんにとって、まったく残らないように。残るっていうのは、それをご自分の考えで解決しようとなさる、そのやりくりが残る、ということですねえ。それが全くないように、もう完全に心の問題、自己意識の中の問題におきましては、そこにほんの少しも知的な解決の努力が残らないようにと、そうお勧めしているのが今晩の講話であるんですねえ。それは一刻も早く、皆さんがここで本物の真実を体得され、真実に生きる人として外の生活に関わっていらっしゃる限り、ですね、世間の人がまだなまぬるく解きかねている自分の問題、心の問題が、ですね、もう皆さん方は今晩卒業でありまして、どんどんその問題を離れてひたすら受験勉強に励まれたあのときのように、ですね、今まさにそういう時期ですねえ。

 もうすべり止めの大学の入学は決まっている。というふうなところを次の試験のために皆んな頑張って勉強している。というような、そういう時期なんですねえ。その時のように皆さんが、心の問題にまったく目もくれずに、ひたすら勉強その他の生活に大いに苦心して進まれれば、ですね、その生活っていうのは例え話として受験勉強をあげましたけれども、廊下がちょっと濡れている、そのところを皆さんが雑巾でちょっときれいに拭き取って、またその雑巾をゆすいでかけておかれるというふうな、身近な手仕事で同じ値打ちがある。値打ちをいうことはおかしいですけれども、受験勉強は例え話で、ですねえ、まあ、いうたら脇目も振らずに皆さんが一生懸命、外の問題に取り組まれたことを、現在の受験生のこのシーズンにおける状況を重ね合わせて、ですね、思い出していただくことを目的に持ち出したわけでして、実際は仕事であればなんでもいい、作業と名のつくものならなんでもよいですね。

 ですから、物が見えるというその事柄ですね、外のものを見ているわけです。ですから日記に、今日見たものと、それから、ほんといえばそれに並ぶもの、聴いたもの、皮膚に感じたもの、舌のうえに感じた味覚ですね。そういった感覚、なんでも同じことなんですが、もうわかりやすく見たもので代表させているんですね。それと皆さんの仕事ですね、作業内容。それを日記の今日の大事な内容としてお書きになれば、もうそれでよろしいですね、見たものとしたこと。その見たものという中に、様々な感覚のものが含まれるということですね。したことのなかにいろんな種類の仕事が含まれるということですね。

 ですから古事記抄という、朝晩、意味のとりにくい古い言葉で書かれた、去年で1,300年を迎えました、712年編纂の古い本がですねえ、見事に神経症を完全に治す働きを引き受けてくれているんですねえ。

 この間、電話で神戸から古今集がどうのこうのいうてこられて、それは思い違いなんですけどね、その人はもう昭和のころに入院されたので、古事記抄のことを忘れて古今集を読んだかのように記憶の間違いで述べておられるんですね。

 しかし森田先生が、古事記を選ばれたというのは、やはりその難しさ、面白くなさですねえ。古今集はやっぱりより芸術的、和歌でありますから読んでそれなりの感動があります。そういうものを選んで悪いことはないです。よく味わえばそれでよろしいんですけれども、その内容のほうに気がいってしまうんですね。取り組んでいるその苦心、どういうことだろうとその解釈にはなはだ苦労される、その骨折りですねえ、そこのところが古今集にはないんですねえ。

 で、今でこそ4世紀の考古学でいう古墳時代の初めの景行天皇ですね、大帯日子淤斯呂和気天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)のくだりを読んでいただいておりますけれども、あれは私が選びなおしたもので、森田先生は、本居宣長が伊勢の松坂で古い古事記をその苦心の研究で読める形にした。あれ漢字だけだったんです。712年、古事記が完成したんですね。それでその最初は、今ではその言葉もほとんど通用しない神代の昔、つまり神話として遠い昔の物語という、うっすら記憶にとどめられているぐらいのものですね。そういうところから古事記の文章が始まる、そこを読ましておられたんです。

 森田先生がですね、昭和10年ごろに葉書を下さって、今度古事記を読ますことを考えた。と、ですねえ、それでそういう本を作ったので三聖病院にもそれを分けてあげようかと。そんなことが書いてあって1冊10銭とか書いてある、そういう葉書が見つかりましてですね、ご親切におそらく何冊かを送って下さったんだろうと想像している、まっ、実際ありましたんです。残念ながら1冊も残っておりません。それは皆さんの日記よりもやや小さいんですねえ。今の古事記抄のようにB5版ですねえ、といった読みやすい大きさでなく、小さかったですねえ。

 で、皆さんが聞いておられる、天照大御神(あまてらすおおみかみ)という、まだ地上に神さんが降りてこられる前の世界というのは、それにずうーっと続いてくるんですねえ、さっきの話から。

 で、その子孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、その高天原(たかまがはら)というあめの天照大御神の世界から地上へ降り立つ、それが宮崎県の高千穂の峰である。

 高千穂の峰ですね、そこでその舞台は南部九州なんですねえ。そして宮崎県は昔は日向ですね。日向の美々津みみつというところから、その子孫の、後の神武天皇が船をつくって軍団で日向灘を北上するんですねえ。で、豊後水道を通って瀬戸内海を東へ進む。今、簡単にいってますけど、これ、そう簡単に来れないんですねえ。あっちこっち寄りながら東へ進んでくる、これ、まことに妙な話でありましてですねえ、日本の国のはじまりが、宮崎県から出発するというのは、ほんとにまあなんとも考古学的な事実を伴わない、架空の話であることはもう間違いないんですね。

 宮崎県が文化の中心である、やや著名な古墳群があるのは、古墳時代中期ですね。5世紀に至って西都原(さいとばる)古墳群という、宮崎市に近いところで大和に匹敵するぐらい立派な大規模な前方後円墳が群集で群集墳として造られるんですね。けれども九州を全体に見渡した場合にですね、2世紀まではもう絶対、北九州ですね。大和に勝る大陸的な中国的な文化が高度にあったんですね。それが3世紀のはじめになりました頃に逆転して大和が優位になるんですねえ。まっ、そのへんに邪馬台国が誕生するんですね。微妙なところでして、ですから、どこをとるかで中心地は九州になるか、大和になるかということですけれども、私どもは弥生時代から古墳時代にかけての文様をつぶさによく調べて、新しい資料をよく分析し、そしてその文様が、皆さんが古事記抄でお読みになる大和の纏向であるんですねえ、今の奈良県桜井市、その石塚古墳の堀から出てきた文様の板、文様を切り抜いた板が、これがそれの一番古いものである。それがそこを中心にだんだん拡がっていき、発展していって全国規模に及んでいく、つまり古墳文化の発展がその文様であとづけられる。私、これを一番うれしく考えているんですねえ。

 診察室に、黒板のところへかけています、まん丸い、赤い、切り抜いた図柄の、半径55センチの円板は、これは1975年にテレビで全国放送した時のもので、もう38年も経っておりますかねえ。もう、おかげさんで見当は誤りなく、まさにあれこそが卑弥呼の勢力が後にいわれる大和王権の中心と重なるんですね。卑弥呼だけ遊離して大和王権は大和王権で考えられるというのは、ですから、結びつきはなかったんですけれども、その拡がりから考えてあれこそ卑弥呼が大和王権の中心であったということを示すものというふうに、今では申しております。はい、それはちょっと脱線でありましたけども。

 で、肝心なのは、ここでの生活に研究的でいらっしゃることですねえ。その鶴一羽を折るという、だれもがしていることがらの、その技巧的な、こうすればこうなるというお手本がありながら、なかなかそうもなってこう手が動いていかない、そのへんの皆さんのお骨折りですね、それは一重に研究といってよろしいですね。そういう取り組みです。それは指の問題でもあるかもしれませんし、知的な経験の上に立つ推理によるものでもありましょうし、その研究という、簡単にいえば、「どうしたらいいか」ということが、外の皆さんの作業の上に次から次にありますように、ですね、そういう工夫が必要なんです。

 なにかテーマをおつかみになったら、それを一生懸命できるかぎり研究的に見ていらっしゃる。細かくそれについて勉強なさるっていうのは、いいことですねえ。皆さん方も、ここでの、それは別にどこでも、ここの中でなさることの毎日の比較研究からですね、そこに複数の同じ状況のもののうえに、いままで思いつかなかった事柄が、第三のものとしてまた新たな発見をなさるかもしれないですね。ですからやっぱり自分で勉強するのも大いに結構ですが、機会あるごとに実物に接して、ご自分の目でよく見極めていただきたいですね。

 幸いここは、ほんの1km歩いて10分ばかりのところに国立京都博物館があって、ですね、ほんとに庭先みたいなところ、ついそこですから始終勉強なさるとよろしいですね。もうじき狩野山楽とその息子であります山雪、山、雪ですね、この親子の大きな襖絵、屏風絵などをテーマにした、ちょっと近来にないこの春の特別展があります。そういうときに繰り返しご覧になることをお勧めいたします。私どものこの美術スライドが、そういうことのきっかけになりましたら非常にうれしいですね。皆さん方はただそういう機会があまりなかっただけのことで、ですね、そういう機会を逃さず、たくさんのものが集まるそういう特別展あるいは集めている美術館、博物館などに恵まれた京都ですから、頻繁にそれを見て廻られることをお勧めいたします。

 はい、どうも、今日はこのへんで講話を終わることにいたします。

    2013.3.6



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