三省会

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宇佐晋一先生からの
メッセージ
令和2年10月6日


アナウンサーの
インタビューのしかたについて
 

 アナウンサーになる人びとはインタビューについて どのような教育を受けるのであろうか。アナウンサーに知り合いがいないのでたずねたこともないが、あまりにも当たり前過ぎて教科書にはないのかもしれない。精神科医のわれわれからすれば、まことに変なきき方をする。しかし世間ではそれが当たり前なので、少しもおかしいとは思われない。たとえば特別に優秀な成績をあげた力士に「おめでとうございます」ここまではよい。つぎに「今の心境はいかがですか」ときくのがわるいのである。自分をして自分のことを語らせることがいけないのである。

 有名な森田療法家であった鈴木知準(とものり)先生は 初診のまえに森田先生の本を読んで「自分のことばかりしゃべる人は森田神経質ではない」と書いてあったので、森田先生からなにを聞かれても せいぜい黙って答えなかったら、森田先生に統合失調症と間違われてしまって、入院を断られ、困った親が他の先生に手を回して、そこから頼んでもらって ようやくにして入院が許された、と生前に苦笑して森田先生を懐かしまれた。

 自分について語らない、という生き方は もう全治である。それは自分を概念化することがないからである。もうそれだけで全治が達成できるからである。考えた自分を離れるとは どういう状態かというと、それは疑いもなく毎晩眠っている状態、それそのものである。

 昭和の終わりごろの妙心寺管長 梶浦逸外老師は揮毫きごうを頼まれると、よく色紙に「夢」という一字の墨跡を書かれた。これはけっして「人生は夢のようなものだ」というお説教ではなくて、自己概念のない現実の、赤裸々せきららな表現だった。

 夢は見っぱなし、描きっぱなしで、無批判の状態で目がさめる。そのときの自分は まったく良し悪しがない。どんな自分も きめられない状態で次の行動が始まるのである。その社会的行動は十分、慎重であらねばならない。それはほかならぬ他者意識での行動なのである。

     宇佐 晋一
  (2020年10月6日) 



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