三省会

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宇佐晋一先生 講話


京田辺市の大御堂

 同志社大学田辺キャンパスが広く土地を占めているのは近鉄の新田辺駅の一つ南の興戸駅の西側の丘陵地である。京田辺市になるまえから地域の歴史研究熱が盛り上がり、われわれも考古学の面から応援して田辺郷土史会が発足した。わたしたちも初めての土地だったので、せいぜい丘陵地を歩きまわっていた所、のちに同志社大学校地になる所の東向の崖から青銅製のボタン状のものが見つかった。日本では初めての発見で径約1.5cmのおまんじゅう形の突起部の下に径約2.0cmの座金がついている。日本の遺物のなかで似たもの探すと弥生時代中期から始まり古墳時代中期まで続く日本独自の青銅製品である巴形銅器がある。私は日本考古学協会編集になる『日本考古学辞典』の「巴形銅器」の項目を執筆した。巴瓦の文様を思い浮かべていただいたらよい。普通は4本の曲がった突起がついているので、この名がある。長らく用途が不明であったが、1954年に大阪の黄金塚古墳の調査や1949年の伊賀・石山古墳で楯の上に付けられていたことから、楯の威力を高めるために付けられたことが判明した。私は6本の突起をもったスイジ貝をテザイン化したものであろうと1959年日本考古学協会総会で発表した。

 その丘陵は西へ続く大きな普賢寺谷という大きな谷の入り口である。そこを西へ同志社大学を過ぎると大御堂(観音寺)という大きなお寺が聳えるように立っている。田辺郷土史会でもおなじみのご住職に拝観をお願いすると、心よくお堂に入れていただき、まず法要が始まった。お経を唱えられる中で、木魚ではなく法鼓をドン、ドドンとくり返し鳴らされるのが風変わりであった。

 やがてお厨子が開かれると黒ずんだ観音像が姿を見せた。奈良時代の作として名高い国宝の木心乾漆十一面観音立像(像高172cm)である。黒光りしているのになんとも明るい尊容で、人を引きつけてやまない。奈良時代の仏師はどのようにしてバランスのよいみ仏の姿を見出したのであろうか。桜井市聖林寺の十一面観音(奈良時代)をすぐに連想するが、あの独特の威圧感がこちらにはない。法鼓の音とともにしみじみと懐かしく思い出されるみごとさである。
   2024.9.25

picture1 巴形銅器 香川県さぬき市寒川町石田東出土 東京国立博物館

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