心はほったらかし
こんな時代でなくても、心は穏やかなのがよいにきまっていると、皆がそう思っている。本当にそう思っていない人はいない といってもよいくらいである。
しかし意識を取り扱う精神医学からすれば、自己意識の内容は自分で調節することができないから、ほったらかしにしておくだけでよかったのである。
自己意識のなかを変えようとすると、そこにかならず考えが出てきて、工夫するために、どうにもならない自己意識とぶつかって葛藤を生じてしまう。それが悩みの本質であり、結果としてはストレス状態を引き起こしてしまう。
こんなにばかばかしいメカニズムで、日常的に悩みが絶えないのも、もとを正せば、心のよいあり方をきめたのが原因である。心は穏やかなのがよいと勝手にきめた常識がわるいのである。
ストレスという言葉は夏目漱石が使った早い例はあるが、私が精神科医になった1950年ごろから、カナダのモントリオール大学のハンス・セリエ教授が1945年に、ストレス学説をとなえたことに触発されて、次第に治療面にもその考えが応用されるようになった。それは本来、生体のもつ防衛反応についての共通した理解をたすけるものであったにもかかわらず、ストレス作用因子の有害な面を示すことばとしてストレスの語が使われて、ストレスといえばないほうがよいという常識を生み出したのである。物理学的あるいは化学的なストレス作用因子はともかくとして、心理的なそれには立派な解決法がある。
それはまったく言葉や考えで対抗策を工夫するのではなく、自己意識のなかは完全に言葉を使わないでほったらかしにするだけでよい。
心のなかの工夫がいらないことが、それだけ他者意識の余裕が生まれ、周囲の問題の解決や学習のみならず、広く世間の恩恵にも気付くことになって感謝が生まれてくる。これは思ってもみなかった生活上の充実となり、幸福のはじまりでもあるといってよい。
2020.5.22