三省会

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宇佐晋一先生 講話


心の対策ではだめ  

 年頭に珍しい番組があった。1月2日から2回に分けて10人のお坊さんのお説教を聞くというものである(NHK Eテレ)。お寺にお参りもしないで、沢山ありがたいお話をうかがうことができ、まるでコンクールのようであった。しかし、おしなべて話題が心について終始したのは、自己意識内容を概念化するもので、真の救いにはならないということが、宗教家には認識されていないようで、今後の宗教教育上の大きな課題であると思わずにはいられなかった。

 どうも現代のお説教は臨床心理学からの影響であろうか、悩む人に寄りそって、その不安や苦悩を問題にしがちである。NHKの放送大学の臨床心理学の講義で勉強して気がつくのは、どの方法もクライエントの悩みを、守秘義務を明確にしたうえで聞いている。傾聴することが、それだけでも気が休まるという観点からの親切でもあるかのように、クライエントに寄りそって聞く。そのことにまったく無批判で、当然のことのようになっているが、じつはまったく困ったことなのである。私1人がそのことに反対していることが現代では不思儀に思われるほどの風潮である。

 三聖病院の初代院長 宇佐玄雄げんゆうは入院中の人びとに治したい症状をいわせなかった。それは主観的な虚構に過ぎない自己意識内容を取り上げなければ神経症はおのずから絶対不成立となるということが禅の修行と森田療法家としての目からはっきりと見えていたからである。上記の10人のお坊さんのうち川村妙慶さんだけが同じように自己意識内容から脱却する道を教えられたのは、とくにすばらしく光明を放っていた。それは七つの布施(サービス)のすすめである。七つあるというのは①眼施(マスクをしていてもできる眼付で人を安心させること)、②和顔施(柔和な顔で接すること)、③言辞施(やさしいことばでいうこと)、④身施(労力のサービス)、⑤心施(心でいつくしむこと)、⑥床座施(電車などで席をゆずること)、⑦房舎施(家のなかで他人をくつろがせること)などである。これらはどれも元手のいらない、すぐその場で実行できることばかりである。しかもこれ以上の全治はないといってよい。

   2022.1.18



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