三省会

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宇佐晋一先生 講話


心には教訓がない  

 徳川慶喜が隠棲してのち「写真撮影や絵を描いて、それを心の支えとした」とテレビで説明していたが、同じ局の「心の時間」の番組では「心の壁をのりこえる」ということが人生の転機となったという人の例を賞讃していた。前者に従えば、心の支えさえあれば、どんなに具合のわるい環境条件のもとでも、ぐらつかずにやっていけるというわけだろうし、また後者によればどんな場合も心の壁に行く手をさえぎられている間はうまくいかないので、そこでなんとか心の壁をのりこえないといけない、ということになるだろう。それで当りまえだと考えられている。どちらにしても「心次第で人生は変る」と教えていることにおいては同じである。ということは、心ほど大事なものはないから生きる上の第1条件とせよという教訓と受けとめられよう。世間一般にはそれに同感する人がほとんどなのではあるまいか。

 私が皆さんのお役にたちたいのは、心についてのいろんなよいあり方や条件、それに伴う批判などはどれも皆見当はずれなのだと知らせたいのである。心についてどれほど多くの真面目な人たちが悩み、苦しみぬいているかを考えるとき、もっと積極的に森田療法の悩みの解決の手軽さ、迅速さ、確実さを知らせないといけない、と思う。心の問題となるとやたらとむずかしいものと考えがちなのは、下手にことばでいじくるからであって、どんなに複雑にこんぐらかっていようとも、それは問題ではない。悩みの種類と程度を問わず、今早速さっそく目の前の仕事にとりくめばよい。その責任が重いほど治療効果は確かなものとなる。そのためには目的が他人につながるものがよい。公共的に世のため人のためになるものであればあるほどよく、その目的達成のための工夫がことさら細やかなのがよい。その場の空気をよみ、他人の気持の動きには十分気を配って、先廻りするくらいのとりくみに精魂を使いはたすなら、まぎれもない全治がその場にあらわれるであろう。この全治にはお説教がないし、心のあり方に関係がない。自分以外の世界の、生物・無生物がよく見えていて、みんなのために骨折っていさえすれば満点である。

   2021.7.4



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