三省会

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宇佐晋一先生 講話


照顧脚下は全治そのもの  

 昭和33年(1958)ごろ『われら100人こうして治った』という本を出そう、という提案をされた方があって、三省会でも、それはよい企画だと賛同し、早速募集にとりかかった。第一番に原稿を寄せられたのはK大学法学部のK教授(国際法)であった。入院中に庭に出ていなければならない第2期であったにもかかわらず自分の部屋にいて思いにふけっていると、初代院長宇佐玄雄げんゆうがひょいと部屋をのぞいて「Kさん、足ででもいいから布団のいがんでいるのをなおしなさい」といったそうである。なに気ないことばであるが、いわれたとおりに布団をなおすと、なんとそれから外へ注意が向き出して、どんどん快方に向かったという。

 このことから、治るのは考えによるのではなく、必要な仕事をみつけて手を出すことで実現することがわかる。多分そうはいっても第2期では序の口で、次の第3期、第4期まで修練して、やっと全治するのであろう、と段階的な治り方を考えるのが普通であろう。ところが森田療法では、第2期の話より前に第1期で臥褥中でも、すでに治すことは終わっている。少々種明かしをすれば、第1期絶対臥褥期に入るや、もう自分の症状について一切語ることがなく、ただ定められた方式に従って、1日中横になっているという "行為に徹する" のみという点をみるべきなのだ。これは「そうすれば治る」という話ではなくて、ただちにとりあえず実行することが治っていることにほかならないのである。かつて宇佐玄雄には大正15年(1926)に、またその翌年以降は森田正馬先生に治療を受けた作家の倉田百三ももぞう氏は治った慶びを『神経質者の天国 -治らずに治った私の体験- 』という1冊の本にした。宇佐玄雄はこの題名について「治らずに治った」といわずに「治った」でよいのだ、と批判していたが、わかりやすくするならば「治さずに治った」というところでもあろうか。(この本はのちに同氏の著書『絶対的生活』に収録されている)

 上記のK教授の体験は、よく禅宗寺院の玄関に掲示される「照顧脚下」のことばを思い起こさせる。それは自分の脚の下のほうを見るという自己意識ではなく、足もとの周囲に気を配れという他者意識上のことだ。これは後醍醐天皇が師と仰いだ三光国師(孤峰覚明)のことばだと伝えられる。

   2022.4.10



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