三省会

目次

宇佐晋一先生 講話


全治からの出発  

 父 宇佐玄雄が開設した三聖病院の顧問は京大名誉教授 今村新吉、東京慈恵会医科大学名誉教授 森田正馬の両先生であった。お2人はもと東大精神科教室におられて、森田先生が後輩にあたる。京大で今村先生のもとで助教授を勤めた三浦百重先生によれば、今村先生は「森田君は勘のよい人だ」と褒めておられたそうである。

 今村先生のお部屋には能面の小面こおもて(若い女性の顔)が掛けてあって、若い新入局者には、まずきまって「表情」という研究テーマを与えられるのが常であった。普通 "能面のような" という形容はかたい、無表情な状態を指していうが、精神医学の場合は、たとえば能舞台でシテ(主演者)が少し上を向いて "照らす" ことにより明るい表情を見せたり、逆に少しうつ向いて "曇らす" という暗い表情をあらわしたりすることなどをも見のがさずに、深く読みとらねばならないことを教わるのである。しかもそれは "瞬間診断" のことばのように、一瞬のうちにこまやかに読みとることが求められている。

 医学生には臨床実習というのがある。今村先生は実習生に診察を命じられて、聴診器を持ったら「馬鹿もん」と叱られたそうである。それほどまず表情や態度を見落としてはならないということである。これは絵画のみならず、広くものいわぬ芸術作品について、その鑑賞という行為が知ることでなく見ることそのものにほかならないことを示している。とりわけ古美術には古い様式や古色が前面に出ているため、まず美術史的な知識が必要な感じがして、それを知ることが優先しがちであるが、それのみに終始したのでは真に見ることが抜け落ちてしまうので、用心しなければならない。

 上記のことを自分に当てはめてみるとどうなるであろうか。それは他者への表現あるいは演出であって、自己意識を離れて、他者意識の領域の重要な生き方である。3月22日ニューデリーにおいてインドのモディ首相が合掌して岸田首相を迎えた時に、ごく自然に岸田さんも合掌して礼を返されたのは大変美しい姿であった。こうして相手にもっとも適切な態度で接し、感謝を伝える表現こそ生きる姿の第一義であり、その "ふり" の洗練こそつねに全治からはじまる今日的課題なのである。

   2022.3.25



目次