三省会

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宇佐晋一先生 講話


美術史学事始め(4)

 仏像についての美術史は、寺院の歴史的背景や、かかわった僧との関係が深く問われねばならない。奈良時代に道鏡が称徳天皇に取り入って、皇位を狙ったが、廷臣和気の清麻呂が宇佐八幡(大分県)に出向いて神託を受け、それを退ける。八幡神の「一切の経典を書写し、仏像を造立せよ」という神の願いにこたえて寺を建立し、木像を納めた。これが河内神願寺(じんがんじ)である。神護寺の本尊像は、のちに和気氏の氏寺で、唐から帰国した空海が入住した高尾山寺と合併した神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ、略称神護寺、804)の本尊薬師如来であるとされてきた。(ただし本来、神護寺の本尊として造立されたものとする異説もあり、密教像としての完成度からすれば、うなづけるものがある。)(8世紀末、写真1、2)

 この尊像のまえに立てば、その尊容の厳しさは気迫に満ち、畏怖さえおぼえるほどである。仏像に共通して見られる優しさや慈愛を示すものが見られない。講師の森暢先生もただ「不思議ですね」といわれるのみであった。

 次に多宝塔に向かい横一列に並んだ五体の虚空蔵菩薩像(平安時代、9世紀、写真3)を拝した。それぞれに彩色は異なるが共通して柔和な温容で、豊満な体軀が時代をよく現していた。本来は五智如来で、大日如来自身と阿閦(あしゅく)、宝生(ほうしょう)、無量寿、不空成就の五体からなる五大虚空蔵菩薩はこの五智如来が菩薩に変身した姿にほかならない。大学から、というので特別に紫綾金銀泥(むらさきあやきんぎんでい)両界曼荼羅(通称「高尾曼荼羅」9世紀)が拝見できたのは幸運というほかなかった。

 ついで板彫弘法大師像(1302 写真4)を間近かで見せていただいた。そこで同行の木材学専攻の小原二郎氏(のちに千葉大学教授)が、しげしげと観察して「先生、これは一木造りではありません。浮彫りと板を貼り合わせたものです。」と森暢先生にいっておられるのを聞いて、ただ感心するばかりだ。
   2023.8.26
参考文献 -『古寺行こう』13 神護寺高山寺 小学館 2022



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<写真1>本尊薬師如来




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<写真2>本尊薬師如来
 



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<写真3>金剛虚空蔵菩薩




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<写真4>板彫り弘法大師像






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