三省会

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宇佐晋一先生 講話


花まつりに思う - 小牧正眼寺の誕生仏の年代について

 花吹雪も嬉しい卯月(4月)8日は仏教の宗派を問わず釈尊(ゴーダマシッダルタ)の誕生を祝う花まつりが行われる。白い象の上に小さくて可愛らしい生まれたばかりの釈尊像をのせて、それに甘茶をかけて境内を練り歩くのである。釈尊は天上界から白い象になって降り、母マーヤの胎内に入る(霊夢托胎)。月満ちて母がカピラ城のルンビニ苑で無憂樹に触れたとき、右脇から生まれた。紀元前463年(624年・564年ともいう)。カピラ城の位置については中インド北部ネパール隣接地とされてきたが、筆者は立正大学調査隊が考古学的に発掘調査したネパールのティラウラコット遺跡が、城跡であることからカピラ城の遺跡であるとする説を推すものである。そこで釈迦が生まれるとすぐに7歩あるき、その後に蓮の花が咲いたといわれる。そこで釈尊は右手を上げて天に向けて指し、左手で地面を指示し、「天上天下、唯我独尊」といったと伝わる。誕生仏に甘茶(水)をかけるのは、ブラフマー(梵天)とインドラ(帝釈天)が水を注いだというガンダーラ説と、難陀と優婆難陀の二竜王(人間の姿をしている)が産水を注いだという二竜潅水のインド説とがある。

 こうして釈尊の誕生は「下天(または霊夢)托胎」「誕生」「七歩蓮華」「獅子吼」「潅水」(あるいは「二竜潅水」)で 構成されている。

 さて本題の釈迦誕生仏(写真1)は飛鳥時代、したがって日本最古と喧伝され、平常から奈良国立博物館の仏像館に陳列され、ひときわ黄金に輝いている。上半身裸形、下半身に裳をつけて立つ。このに注目して他の飛鳥時代の諸仏と較べてみよう。法隆寺金堂薬師如来 (607年)(写真2) の裳はその構成がよく整い、裳の折り返しが両側から出会う所に偶然できる形はイチョウの葉に似た曲線を描いている。

 次に同寺金堂の本尊釈迦三尊(623年)(写真3)の裳においてはいくらか形式化が見られるものの襞間の図形はイチョウ葉形に整えられている。その止利派の様式にくらべると正眼誕生仏の裳のひだは全体に構成がゆるく、法隆寺の2例にみられた襞間のイチョウの葉形は見られず、ハート形に近い形になっている。これは作者の造形理念の相違を感ぜしむるほどである。

 それではどこに位置付けられるものであろうか。そこで比較しやすい法隆寺蔵銅造釈迦如来坐像と脇侍像(628年)(写真4)をみると、のゆるやかな折り返しひだがよく似ており、左右の襞によって出来る形まで、ハート形に近いという類似を見出すのである。こうして現時点では小牧正眼寺誕生仏は法隆寺釈迦如来坐像脇侍像に近い制作年代を与えられるものであろうと推測するものである。

   2023.4.10


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(写真1)小牧正眼寺釈迦誕生仏立像




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(写真2)法隆寺金堂薬師如来坐像
     



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(写真3)法隆寺金堂釈迦三尊像
   



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(写真4)法隆寺釈迦如来坐像脇侍像
    





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