三省会

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宇佐晋一先生 講話


厚労省の「まもろうよ、こころ」について  

 令和3年10月13日厚労省はそのホームページに「まもろうよ、こころ<勇気を出してまず1歩>」という生徒向けのキャンペーンを打ち出した。この1年間に小、中学生の不登校者が196,127人に急増し、小、中、高校生の自殺者も415人にのぼり、前年度より100名以上増えた驚くべき事態に対して、いそいで精神的な対策を講じたのである。不登校の40%以上に見られたのは無気力、不安であったという。いじめとは異る視点を持たねばならない不登校の生徒の問題の根は深く広い。それにしても「まもろうよ、こころ」とはだれに向けての呼びかけなのか、といえば、それはもちろん当事者本人に対してであろうことは容易に想像がつく。そうすると本人たちが自分の心を守ることを要請されているのである。不登校や無気力、不安などが、自分の心を守りきれなかった自己責任によって多発したかのような論理である。それなら心のあつかいをどうすればよかったのかと問われる時「勇気を出して第1歩」が始まるという、うがった考え方が出てくるのは当然であったが、はたしてすぐにも勇気は出るだろうか。

 それでは真の解決はあるのだろうか。それは大人も生徒もまったく変りなく同じ大きな道が開けている。考えてみれば、自分の心を取り上げて問題にするのはまぎれもなく自己意識の世界である。悩みは意外にも自己意識内の解決努力の姿として成立する。それは自己観察から始まり、それが自己意識内容の概念化をみちびくのを常とする。自分にとって不利なもの、不安なものや嫌なものなどが目について、それらのない安心できる世界を描きはじめる。それは皮肉にも厚労省のキャンペーンの「まもろうよ、こころ」そのものであった。心すなわち自己意識内容を守った結果、苦悩、無気力や不安を生じたのである。自己意識内容をことばと論理で概念化すると、苦悩や葛藤を生じ、治療どころかますますそれらについてのとらわれを増すことにならざるをえない。つまり心を守ることは一刻も速くやめて、知性を本来の守備範囲である他者意識の領域のほうに有効に発揮させ、他人や社会、また製品に感謝してやまない精神作業とともに、骨折って世の中や他人のために、どこにいても尽して行く気のきいた行動に欲ばることがすぐに始まるように仕向ける教育こそが望ましいのである。

   2021.10.15



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