三省会

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宇佐晋一先生 講話


初詣にはご用心  

 昔森田先生のことばを使って「かくあるべしの反対があるがままで、あるがままの反対がかくあるべしだ。こんなにわかりやすいことはない」と書いてある本を見たことがある。こういう道理がわかったこともうれしいに違いないが、本ものの全治はもっとすばらしいものである。そう聞くと長年の修養によってやっと到達するような困難な道のりを考えて気が遠くなりそうだが、実は本もののほうが簡単で、確実なのである。それは全治は論理の異なる世界であって、普通の心理学的な筋の通った学問的解説では役立たない。それだけでなくすべてのストーリーが関係がない。つまりわかってもわからなくても全治はもう皆さん方のものであるといってよい。

 答えを出そうとする時は、真実はもうそこにはなくて、全治はなり立たない、と聞いたら、すぐに心や症状に向き合うことをやめて、仕事に着手するか、他人からの恩恵を考えて、なにをすれば皆さんに役立つことができるかと考えるのが賢明である。それを難しいというのは自分の気分や能力を考えているからにほかならず、治らない状態というのは自分が思考対象になっている。すなわち自己意識が明るくなっていることは間違いない。そう見てくればお正月になったらなにをいても出かけようという初詣は、よほど慎重に考えてみなければならない内容のものである。それは自己意識の集中して高まった集団的行動で、ことごとくなんらかの願いごとを欲深く祈る。家内安全、無事息災、健康長寿、学業成就など、祈願するのが当然のようになっている。その祈りが真実に生きることを妨げ、全治を不可能にしていることに気がつかない。

 全治は自分についての祈願のない状態である。初詣はそれを打ち消す行為なのだが、神社に年頭に参詣することが、国民的行事として良いことのように思われているために、気がつかずに全治の機会を逃し、真実に生きることから離れて、新年の気分に酔うのはおろかしいことといわねばならない。私は森田療法の家に生れ育って93年、一度も初詣をしたことがないし、ご利益にあずかろうとは思わないのである。 

   2020.12.11 



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