三省会

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宇佐晋一先生 講話


美術史学事始め(6)

 古美術同好会は大学のことだからお願いする講師が先生は何人もいらっしゃったが、肝心の世話役であるMさん(解剖学)が山口大学教授となっていかれると、火が消えたようになり、私がしばらくは企画したが続かなかった。ところが京大病院整形外科のK助教授が源豊宗先生と昵懇で整形外科と外科の同好者を集めて清径会という会を主催しておられ、私は外科の友人から知らされて参加した。

 源先生がK先生と並んで坂を登っていかれる。目標は奈良の高畑の新薬師寺である、光明皇后の御願寺で、聖武天皇のご病気の快癒を願って建立。今は狭い境内に本堂が一つ建ち、昔は焼け残った食堂を転用したものとされていたが、今は円形基壇が創建のものと考え、文献に見える天平宝字6年(764年)ごろに存在した壇所もしくは壇院と呼ばれたお堂に該当すると考えられるようになった。ただし本尊薬師如来のまわりに円形に外向きに並ぶ十二神将は近くの岩淵寺に祀られていたものである。創建時の本堂は西方にあって2008年の奈良教育大学の敷地の発掘調査で判明した本堂の大きさは東西約69m、南北約25mの長大なスケールで、東大寺大仏殿が東西約59mであることとくらべても驚かされる。しかも本堂は東大寺大仏殿の真南にあたり、東西二基の塔、本堂、講堂、薬師悔過所、檀所(檀院)、僧坊を備えた大伽藍であった。本堂には薬師如来と日光、月光両菩薩の3躰セットが6組も並んでいたそうである。

 源先生の電池4個入りの長いライトが本尊薬師如来をライトアップしてはすぐ消される。すると不思議に迫ってくる木彫の巨大さの中にある両眼の鋭さがグーンと迫ってくる。周囲の十二神将もまた1躰ずつライトをあてられる。天平彫刻の持つ写実性が感情表現のはげしさまで及んだことに驚かされる。壮絶な怒りを表わす迷企羅大将はその白眉というべきものである。

 昭和18年に3度目の盗難に会った、爽やかな微笑の香薬師如来(白鳳時代7世紀後半)はもどっていなかったが、秋艸道人(会津八一博士)の

ちかづきて あおぎみれども みほとけの みそなわすとも あらぬさみしさ

 という前庭の歌碑に、その思いの深まるをおぼえた。

 さらに1首、同氏の高畑の当寺を出た時の作をつけ加えたい。

たびびとの めにいたきまで みどりなる ついじのひまの なばたけのいろ
(鹿鳴集)

   2023.10.21
[参考文献]
古寺に行こう17 新薬師寺と春日野の名刹 小学館 2022



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迷企羅大将




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本尊薬師如来と十二神将像
 



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本尊薬師如来と十二神将像




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行方不明の香薬師像






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