奈良県桜井市聖林寺の観音菩薩参拝記
1948年ごろ仏像めぐりでおなじみの友人と有名な聖林寺の観音さんにお詣りしようと近鉄で出かけた。桜井駅で降りて女性に道をきくと自分も同じ方向へ行くからと途中まで送ってくださった。学校に勤めているということだった。途中で分かれてしばらくいくと、先ほどの先生が後から「待ってくださーい」と叫びながら追いかけて来られて「間違ったお寺と勘違いしていました」とのことで、しきりに詫びておられたが、われわれは、その誠意にかえって感動した。そこから方向転換をして山のほうにしばらく坂道を辿って聖林寺に着いた。そこは「山のお寺」という感じの、きびしさのない、ささやかなたたずまいに気持ちよさがあった。先客が3人ほどいて、住職さんの和やかな話しが続く中で、本尊観音は一人厳しい表情で大らかに立っていた。写真で見た感じとは違ってより大きく尊厳さに満ちていた。というより、近より難くておのずから手を合わせるよりほかなかった。しかも奈良時代というのに完璧なその尊容は内なるものがみなぎり、それが外にあふれ出て、美術書に「雄威」と書かれているのもけっして誇張ではないと思った。苦しみをかかえた人々に手をさしのべる様子はなく「来る者は来い」と遥か遠方から見据えている。どうやら微笑ひとつ浮かべず、上口唇の山形をなすのが、厳しさをひときわ増さしめている原因であることがわかってきた。この観音菩薩がよい後ろ盾となって、すくっと立ち、皆の仕事を後押ししてくださるのだということにやがて気がつくのである。それでも遅くはない。ものすごく大きな仏の力である。ふと東大寺三月堂の薄暗いその中心に本尊不空羂索観音が見え始めた時の厳粛さを思い出した。これが一番よく似ている。天平時代の仏像のもつ時代性の一つであろう。
聖林寺の観音様はもと三輪山をご神体とする大神(おうみわ)神社の神宮寺である大御輪寺(だいごりんじ)の本尊であった。明治初期に廃仏毀釈で神社から切り離され、この本尊は、一旦は形式的に近所の川原に捨てられてのちに、寺は廃止されて聖林寺へ引きとられた。その時手伝った古老の証言で足の裏が金ピカであったということから、今回新しいお堂に移す時に尊像が台座から抜けることがわかったと住職の話はとぎれることなく続き新鮮であった。
2024.5.26