三省会


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宇佐先生の講話
(令和元年5月12日)

 本日発表されたBさんは三聖病院に入院されて治ったのですが、どこがどう作用して治られたかと言いますと、入院中のまったく言葉のない環境で言われた通りのことを実行なさったという、そこが大きなきっかけになったわけです。ここのところが他の療法にはない宗教性です。

 会場から大阪のお寺の住職さんが結構なお話をされ、自然即時入必定(じねんそくじにゅうひつじょう)という、正信偈の中の一句をお話くださいました。この自然じねんというその「おのずから」という働きが宗教性なのです。森田療法の中にそれが脈々と流れておりまして、いつでもどこでも皆さん方が全治なさるのはこの自然じねんということからなのです。森田療法のみならず日本の精神医学としては非常に大事な宝物だということです。

 思い出すのは、その住職さんが入院された昭和33、4年頃でしょうか、たいへん良い体験をされましたので、私からお願いして、体験談を詳しく書いていただいて、私は私なりに文章を書きまして、2人で三省会報の臨時特別号を出させていただきました。私はその時、「悩みを極めるもの」という題名で書かせてもらいました。この悩みをどう解決するかではなく、悩みに徹底し、その苦しみの真っ只中にいるということを書きました。  

 これが森田療法の中に流れる宗教性そのものであります。今この瞬間、その不安、気になること、あるいはどうにかならないかと悩んでいる事柄全部をひっくるめて持ったまま、今すべき仕事をなさり、他の方への奉仕活動をなさり、そして世間からの恩恵に対して十分感謝なさるなら、その瞬間が全治で、森田療法ほど早く治る精神療法はないのです。  

 薬など、神経症性障害の治療としてはまったく見当違いそのものでありますから、どうか効果のある新薬の出現を願われるのではなく、まさに症状を薬として飲んで、どんどん実生活に励まれることをお勧めします。  

 「症状が薬」というふうに申し上げましたが、実を言うと、これも不徹底でありまして、薬というものを媒体にして治るのではなく、症状そのものが全治なのです。「症状が薬」と申しましたのは便宜上森田療法らしく表現しただけで、症状も何もかもすべて持ったままが皆さん方の間違いない、ただ今の全治であります。  

 では会場からのご質問にお答えします。
 昭和57年と平成2年に診察を受けられた方からですが、「少しも心が成長していませんが、どうすれば成長するのでしょうか」というご質問です。

 心は成長しなければならないかと言いますと、決してそうではありません。皆さん方の意識としては、どういうふうに成長して行くかではなく、今、ぶっつけにこの通りというだけで十分なのです。ご自分の状態を言葉を使って描き出したり、他人が自分をどう見ているかということを言葉で描き出しますと、神経症性障害の領域になります。心の中に言葉を持ち込みさえしなければ、実に簡単にこの場で見事に全治なさるのです。段階的に治るのではなく、皆さん方が社会生活上、一歩一歩、周囲の状況に応じて着実に歩んで行かれること自体が見事な全治なのです。
 森田先生が、君はもっとハラハラしたまえ、とおっしゃったというのは、まさにこのことを上手に表現されたもので、周囲に対して緊張を高めてドキドキしながら、さあ、今、何をしなければならないかを常に考えているということで十分なのです。
 心の成長というのは皆さん方の工夫や研究によるものではなく、心が成長しようが、しまいがまったくほったらかしで、実際のお仕事、勉強に欲張っていただければ結構なのです。

 次は「森田理論を学習してそれを実践して行く方法は間違っているのでしょうか」というご質問です。

 私は昨年秋に東京で開催された森田療法学会に出席しましたが、多くの演者が治し方に熱心な発表をされていました。私は森田理論を学ぶことはいけないとか、本来の森田療法から外れているとは決して言ってはおりません。ただ、もっと良くなられます、あるいは理論を学習しているだけで治らないと言っている方がもっと良くなられます、と発表ごとに助言させていただきました。
 皆さん方も森田理論を学問として勉強することは大いに結構なことです。精神医学全般も勉強なさればなおよろしいかと思います。しかし、それだけでは森田療法の核心が抜けてしまいます。つまりその宗教性が抜けてしまいます。自然じねんおのずからというところで実は森田療法がとても生きて来るのです。おのずからという意識で、即座に皆さん方は治っていらっしゃるのです。ですから、昨今、世間で薬物療法が標準的な治療と見なされていることはまったく恥ずべきことと思います。

 本日は遠方からもたくさんの方が出席してくださり、その中に精神科の専門の先生もいらっしゃって大変うれしいことでございます。精神科の医師として、患者さんに、この神経症が主観的障害であることを見抜いてあげるということは、他の人にはできないことです。つまり、病気ではないにも関わらず自分が気になって、これではいけないと思い込み、治そうとして病感が増しているだけのことを見抜いてあげるというサービスをなさり、あとは実生活上の指導を次々になされば良いのです。

 一般の人にとって神経症は本当の病気に思えて仕方がありません。あらゆる病気に似た症状が次々に起こりますから、もう片っ端から治したい、あるいは予防したいということで一生懸命になられています。ですから精神科の先生が、それはまったく主観的な症状で、本当の病気ではないことをはっきり示してあげ、薬やその他の何らかの方法で症状がなくなりますよ、と言うのではなく、実生活にどんどん追い詰めてあげていただきたいのです。

 せっぱつまった、というのは治療としてはまったくすごいものです。自分のことはほったらかしのまま仕方なしに進んで行くという、森田療法の極意を皆さん方がおつかみになり、もう自分のことは自然じねんにほったらかしで、四方八方に気配りをして他の人のために骨折るという、社会性に富んだ生活ぶりをどんどん推し進めて行っていただきたいと願うばかりです。
(第438回 三省会例会における宇佐晋一先生の講話)



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