三省会

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宇佐晋一先生 講話


知らなくて良い 

 スポーツでも練習すればそれ相当の効果がある。効果のある所には自信が生まれる。自信が増すに従って自己評価が高まり不安をものともしない心境になり、どのような場面でも緊張しなくなる、というふうになるはずだと考えられている。アスリートたちの、われわれを感心させるような競技のあとの感想にも、しばしば思うようにいかなかったという後悔の言葉とともに、他日を期するという意気込みが語られることが多い。

 この誰しもに共通した〝自己不全感〟ともいうべきものを、ひょっとして自分だけのものではないかと心配して、そのつもりで周囲を見回すと、本当に誰もそんな些細ささいなことに見向きもしていないように見えるので、自分だけのことのように思えてくる。そのため自分の責任で解決しなければならないと考える。そのとき一番工夫の対象になるのは心である。すべては心の問題だと考えるからである。しかもそれが間違っているとは到底思えないから、結果がうまく行かないのは自分の努力が足りないか、あるいは工夫が足りないかだと考え、人知れず大変な苦労をするものである。それでも思いどおりにならない現実を見て、自分の力不足をなげくのが常である。

 ここまで読まれた方はきっと、どうしてこのように当たり前のことを長ながと書くのだろうと、いぶかしく思われるであろう。筆者の意図は実はこの当たり前のことが、心にとってはすべて当てはまらないことがらで、いわば脱線である、と言いたいのである。つまり解決法になっていないということであって、真の解決法はちゃんと別にある。それを明らかにして皆さんのものとして役立てたいと切に願うものである。といって、もったいぶって秘伝として扱うつもりはさらにない。

 それで思い出したが、今年の四月の終わりごろ、テレビの精神鍛錬の番組に中村天風氏の写真が出た。天風会という修養団体の創始者である。昭和の頃の三省会の会員で、「元気な時は三省会が良いが、気力が湧かない時は天風会に行くと元気になれる」と言っている人がいた。その人が言うには「天風会ではクンバハカの秘法というのがある。それを身につけていると、飛行機が墜落しかけてからでもあわてないでいることができる。教えてあげたいが、こればかりは他人に教えてはならないと言われているので、ご勘弁願いたい」という話であった。

 偶然その後、昭和四七年に鹿児島へ行く用事ができて、地図を買って空港が鹿児島市の南郊の海岸近くにあることを調べて、機上の人となった。窓の下に一瞬桜島が見え、錦江湾が斜めに目に入った。もう着陸だなと思っていると、高度を下げてどんどん山のほうに入っていく。クンバハカの秘法もなにもあったものではない。「ああ、もう駄目だ」と目をつぶるほかなかった。それにしても着陸の放送も普通で、落ち着いた雰囲気なのが不思議だった。やがて土地がせり上がり、景色が後へ流れて、あっという間に着陸した。そこには真新しい、出来立ての鹿児島国際空港があった。聞けばその年の四月に開港したばかりで、霧島市溝辺町という鹿児島市の北方の丘陵地に移転したのであった。

 恐怖も不安も知ることに大いに関係がある。後から考えれば京都で古い鹿児島の地図など買わなければ良かったような話である。昔からよく言われる「知らぬが仏」が思い合わされるが、それは不案内な土地について調べなくて良いという受け取り方をしたら間違いである。予習は十分にした方が良い。ただ地図の上に記された空港の位置が古かったので、大いにあわてたのである。その心の急な変化に対して、どうしたら良いかということについては知らなくて良いのである。

 「知らぬが仏」は自己意識内容について、それがどう変化しようが対策を工夫しないことに尽きる。心の世界はこうなるはずだという経験則の及ばない所である。いかなる答えも必要ではなく、答えを出すことが脱線をひき起こすのである。

   2021.7.11 



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