三省会

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宇佐晋一先生 講話


実際の生活に骨折って

 森田療法はご存じのように、経験より前、あるいは人から聞いたり人に伝えたりする前のところで全治が成り立ちますので、Aさんの理論を中心としたお話の後、会場からそういう点をご指摘になったというふうに私には思えました。この、人から聞いたということとまったく関係なく全治が成り立っているというのは、そのままがあるがままであり、いきなり実際の今の生活をお始めになれば、もう満点です。それが本物の全治、真実の姿であって、考えた自分、見つめた自分、分かった自分というのは、すべて自己意識であり、それをご自分で扱おうとする限り脱線するしかないというのがこの療法の趣旨です。

 森田療法関連雑誌の七月号の中に、治るとはどういうことかというテーマで、ほとんど一冊様々な方が文章を書かれています。しかし、治るというのは事柄ではないのです。ですから、治るとはこういうことだと言った途端に脱線してしまって、本当のものが体得できないのです。つまり、こういうことだという分かり方の前のところに本物の皆さん方の今日の見事な全治があるのです。すなわち皆さん方は治らずにはいられないのです。

 それでは会場からいくつかご質問が来ていますので、それぞれに対してお答えします。

 質問:日々の生活では症状をそのままにして目の前のことに取り組んでいますが、しばらくするとまた脱線し、症状にとらわれてしまって困っています。何か脱線しない方法をアドバイスしていただけないでしょうか。

 お答:脱線したらしたまま、次の今大事なことを始めてしまうということでよろしいわけです。では、症状にとらわれたらどうしたらいいかと言いますと、そのとらわれた心をとらわれない状態にしたいという気持ちが沸いて出て来るままに、今のとりあえずの仕事をどんどんやって行くのです。それで心の状況がどのようであったにしても、全治は確実に成り立つのです。
 よく世間では、特に宗教家が「心を整える」という言い方をしますが、それはまったく見当はずれなことです。もう少し落ち着くようにしようとか、もっと良い心の在り方に変えようとすることはまったく必要ありません。前の院長が「どんどんやりなさい」と申しましたが、このどんどんというところが値打ちものなのです。とらわれたらとらわれたまま、どんどんやって行くということです。

 質問:お釈迦様の悟りの内容はどういうものだったのでしょうか。

 お答:それは言葉に表す前の皆さん方の今の状態そのものなのです。三聖病院の洗面所の上に長らく「如々真にょにょしん」という額が掛けてありました。これは入院されていた方が、前の院長の講話を聞かれて、その言葉を達筆な字で板に彫刻され、退院の時に置いて行かれたものを掛けてあったものです。この「如々にょにょ」は「そのまま、そのまま」という意味で、これをおいて他に真実というものはないというのが、お釈迦様の悟りなのです。つまり「こういうものが悟りだ」というような、言葉で伝えられるような、あるいは考えに置き換えられるものではなく、このとおりという、まさに「如々にょにょ」そのものなのです。
 会場から「自分らしく生きる」という話をされましたが、考えた自分、これが自分だ、というのは明らかに脱線で、それはどうでもいいことなのです。ですから、自分らしく生きるというのは、お釈迦様の悟りにはまったく関係ないということです。

 質問:今通訳ガイドを目指して実習を受けていますが、外国人観光客に禅について説明する機会が多く、素人の私にそれを説明する資格があるでしょうか。  

 お答:禅はこのとおりという、先程の如々真にょにょしん、お釈迦様の悟りそのものですから、皆さん方が禅の僧堂で修行をなさらないからと言って、真実に生きることができないかというと、まったくそうではなく、どなたも真実の真っ只中にいらっしゃるのです。そのままあるがまま、実際の生活に骨折って、他の皆さんに役立つたくさんのことを欲張って計画されるところに禅本来の大事な点があるわけですから、この方が外国人観光客に禅について説明なさる時は、言葉を使うことなしに、そういう姿そのものをお見せするのが良いかと思います。また、禅のお坊さんのような修行もしないで悟りが開けるものですかと聞かれましたら、言葉で心の変化を説明しがちですが、そうではなく、いきなり生活面に努力されればその場で悟られると答えるのが良いわけです。
 皆さん方がご存じの江戸時代前期のお坊さん、白隠禅師は「衆生しゅじょう本来仏なり」という素晴らしい言葉を残してくださっているのです。それも外国の方々に、言葉を使わない真実のあり方を、それをやむを得ず言葉を使って説明してくだされば結構です。
 全治は経験以前にあるものです。そして人から伝達を受ける以前のところで成り立っているのです。ですから、治るとはどういうことか、という議論からは決して治って来ないわけです。皆さん方におかれましては、寝ても覚めてもいきなりその場で、しっかりとあるがままの真実が成り立っている、ということを改めて申し上げておきます。

   2017.7.9



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