三省会

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宇佐晋一先生 講話


全治のめでたさは格別  

 入学祝いや結婚祝い、また交通では鉄道や高速道路の開通祝いなど、個人や公共の新しい事態の幸運な始まりは祝福される。ただ同じ祝いごとでも正月のめでたさは、ほかのめでたさと違うことに気付いておられたであろうか。普通のめでたさにははっきりした理由がある。ところが正月のめでたさには理由がない。年の初めのめでたさという理由があるではないかといわれるであろうが、なぜ年の初めがめでたいのかと問われると、はっきりした答は難しいのである。しかし特徴的なことは、誰彼なく皆がめでたいという点である。そこにはまったく区別がなく、比較がなく、よしあしがない。したがって対立するものがなく、勝ち負けがない。それで安心も不安もない、ということに気付かれたであろうか。

 正月とはそういうめでたさに包まれた期間である。これは考えによらない人生が垣間見える時であり、それを見逃してはならない。この状態は真の実在そのもので、ほんの少しも自己意識が概念化されてはならないのである。年末のニュースに国連の重要な任務についた日本人女性が、就任のことばとして「気をしっかりと引きしめてやりたい」といっていた。これが自己意識内を概念化した真実からの脱線のよい例である。当りまえの話を決意をこめて、上手にいっているようだが、「あるがまま」の真実からは遠く離れて、自分についての考えにとらわれているのである。

 森田療法の全治は正月のめでたさとそっくりである。心のやりくりでよくなると思うのは間違いで、治そうとするどのような考えを持ちこんでもうまく行かない。前院長の宇佐玄雄は「子供のほうがよく治る」といったことがある。それは大人のように理論的に自分で納得しようとしないからで、いわれたとおりに実行してすぐに治るのである。新型コロナウイルス感染症でいうならば、その拡大の情報にビクビクハラハラして接し、対策はおこたることなく、万全を期して行うこと、あたかも医療機関のごとくであることが望ましいのである。そうすればこのたびの正月のめでたさは緊張のうちに全治の保証としてあらわれるに違いない。

   2020.12.23 



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