三省会

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宇佐晋一先生 講話


滋賀県長浜市渡岸寺参詣

 米原の北の長浜から3つ目の高月というJ R北陸線の駅で降りて湖北の淋しい道を歩いて行くと、そこに突然ひときわ大きなお寺が現れて驚かされる。しかしお坊さんはおられなくて、農家の人らしいお年寄りが出迎えてくれ、仏像の拝観を申し出ると担当の人を呼びに行かれた。しばらく待って鍵を持った人が来てお堂へ入れてくれた。その人もやはりお坊さんではなかったので、どこまでも気楽であった。

 有名な重要文化財の十一面観音菩薩像はうす暗く広いお堂の片すみに立っていた。このだれもいない静けさのなかに、ただならぬ気品を放つもの、それはこの尊像のもつ美の一つの形態なのであろうか。時代を問わずに似た菩薩像を探っても思いつくものが見当たらない。こういう経験はまったく初めてであった。十一面観音の尊容は超一流の仏師の手で、おごそかにも見出された。それは仏様顔をしていないというだけではない。また誰かに似ているというでもない。日本人でもないし、外国人でもない。まったく新しい顔が見出されたのである。問題はそれのみに止まらない。十一面観音の頭上に化仏十体のお顔が抜群の出来栄えを見せているのである。どのお顔を見ても人を唸らせる表情ばかりで、非の打ち所がない。なかでも憤怒相などは、この彫刻家の卓越した力量を見せている。後にまわり一驚を喫した。笑う仏面である。ちょうど菩薩の頭部の真後ろに破顔大笑の、大口を開けて仏面が笑うのである。衣紋はどうか。これも流麗で硬さやよどみがない。そこには翻波式という平安前期の通例の技法が見られない。

 奈良時代から平安前期に移る木彫群の主流とは別に世にも巧みな彫刻家の見出した観音菩薩像の気品の美に改めて新鮮な感動を覚えずにはいられなかった。 

 それから30年ぶりに三省会の見学会で渡岸寺にお参りをした。もう観光バスの駐車場も整い、十一面観音には立派なお堂ができ、付属美術館まで新設されて、すっかり井上靖の小説『観音の里』が賑わう時が来ていたのであった。
   2024.8.25


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