三省会

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宇佐晋一先生 講話


心の工夫で治るのではない  

 心が大事なことはいうまでもない、と普通には考えられている。本当にそうであるかどうかは問う人もない。精神医学の近接領域である心理学も、その成立はギリシャ哲学のアリストテレスに渕源えんげんを求めうるという。その進歩は目ざましく、今年放送大学の講座であらためて学んだ。その分野は思いのほか広く、内容も多岐にわたり、それぞれ今日の社会に恩恵を与えていることがよくわかり、勉強になった。

 なかでも臨床心理学の領域での発達は、その概要を知るだけでも著しいものがある。しかし、わたくしからすれば、日本のみならず海外でも大きな治療効果をあげている森田療法がわずかしか採り上げられていないことが残念でならなかった。それは精神医学に属する治療法だから、と敬遠されるのか、あるいは入院による系統的な療法が基本とされるために心理学者で実施した人が少ないためか、今後の発展のために大きな課題であろう。大阪市立大学の精神科教授であった中脩三先生(故人)から聞いた話であるが、九大におられた頃にアメリカの軍医が来たので森田療法の説明をしたところ、それをアメリカの専門誌に「精神分析的操作が不十分である」と批判的に報告した、と苦笑しておられた。昔ベルリンにおられた頃 森田正馬先生に頼まれて、森田療法を訳して精神医学の雑誌に投稿したところ「理解困難」という理由で、編集委員のベルリン大学精神科教授カール・ボーンヘッファー(神学者ディートリッヒ・ボーンヘッファーの父)から不採用の通知があった。それを聞いて森田先生が残念がられ、「なんとかもう1度頼んでもらえないか」といって来られたので「釈迦や孔子が自分の説を外国語に翻訳して広めたという話は聞いたことがない。知りたかったら向うが日本語を勉強して教わりに来るべきだ」と慰めたそうである。

 ところがまったくそのとおりに実行した人が現われた。スイスのブルーノ・リーネルさんである。森田療法が勉強したくて、まず日本語を学ぶためにドイツのハイデルベルク大学の日本語科に入り、卆業して東京の外国語大学に入学、十分修得して京大(臨床心理学)に転じ、河合隼雄教授の紹介で1984年ごろ三聖病院を訪れた。そこで75回の講話を聞き、私のもとで研修して帰国後学位を取得した。ところが日本にいる間にNHKのロシア語講座で学んでロシア語が話せるようになり、帰国後ロシアの日本観光旅行団体の添乗員として再来日した。このように抜け目なく、次になにをしたらよいかと考える時がもう全治なのである。

   2021.11.12



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