気分と森田療法
絶好調の人は自信満々である。優秀な成績をあげたスポーツ選手のインタビューのように喜色あふれる表情で将来への抱負をのべる姿は明るさに満ちている。これは感情面の高揚の結果としての自己意識の拡大のように見えるが、実は精神の発動性の高揚がその基にあることを見逃してはならない。
抑うつ状態の人には、その発動性がないから、いくら具体的な過去の実績例を挙げてまわりから励まされてもすぐには立ち直れない。自分に注意が向けば向くほど憐れな自分を救う道は開けず、今この瞬間が真っ暗で、自分で見通しが立てられない。同じ抑うつ状態でもうつ病なら休養と薬による治療が効を奏するが、これに対し森田神経質の抑うつ状態は心的葛藤が顕著であり、それは精神の発動性の減衰によるのではなく、葛藤という知的な働きと、とらわれによる見通しの悪さからの知的な悲観なので、発動性がうつ病ほど低下していないから、そのとらわれとやりくりのために果てしなく悩む。
治そうとする努力がすべて知的な精神作用であったということは、治療上大変重要な観点であるが、えてして悩みの内容の方に関心が向き、その知性によるという精神構造を忘れがちである。ここで「知性は精神の外部機構である」ことをあらためて想起していただきたい。治すことに知的な一層の工夫を加えることは真の治療にはならないばかりか、さらに葛藤を増すことにほかならなかったのである。
私は1965年10月にプノンペンからバンコクまでベトナム航空に乗ったことがある。それはコメットという双発の新型機であった。ところが間もなく世界のあちこちでコメット機の墜落事故が2回続けて起こり、欠陥が見つかって、各航空会社で就航を取り止めた。それを聞いてホッとすることとぞっとすることとが同時に私を襲い、なんとも表現のできない変な気持ちであったが、スケジュールはどんどん進んで慌ただしく帰国し、待ち受けている仕事をせねばならなかった。その後まったく忘れていたが、この文章を書いていて59年ぶりに思い出した。そこでいかなる時も外界の仕事にとりあえず取り組むことを教えられた森田正馬先生に尊敬の念を抱かざるをえなかった。その精神作業は身体的な作業に劣らず、感情の処理の早道なのである。
2024.5.9