三省会

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宇佐晋一先生 講話


学習理論を離れて働けばすぐに全治  

 多くの感動をもたらして、東京オリンピック・パラリンピック2020が終わった。競技前に何人ものアスリートたちの意気込みを聞くことができたと同時に、競技後の感想も、メダル獲得の人たちから沢山聞くことができた。テレビではそれに加えて、解説者が見る人の興味をさらに一層そそる仕組みとして、それぞれ経験者や関係者らから、にぎやかに語られて、普段は見られない独自の番組として盛り上げることに成功した。

 このアスリートたちの声は、彼らの自己意識の内容を直接に純粋に物語るもので、競技直後のそれらは、どの人の場合も生きいきしていて、聞く者をして感動せしめないものはなかった。そこには自分の心について語るという意識がないということは十分注意しておくべきであろう。いい代えれば、自分を客観的に見ているという自己観察の意識がないのである。

 これに対して、森田神経質の人たちの不安や悩みの病苦はかならず最初の精神感動に対する自分なりの感想や予防対策などの批判をともなう心の葛藤である。それは自己意識のなかでさらに自分の心を客観的な対象としてながめるもので、自己意識のなかに他者意識をもちこみ、知性で自分を他人を見ているように概念化しているという構図になっている。上記のオリンピック・パラリンピック番組にたとえるならば解説者をまじえた座談会のようなものということができる。

 ここに忘れてはならない大事な心理学上の注意点がある。それは「知性は精神の外部機構である」という初歩的な事実である。これを忘れて、いくら森田理論の学習に努力しても、自分の症状の解決に向けて使うことは間違いなので、どうにもならないのである。ことばと論理で組みたてられた知性は自己意識内にはまったく役立たないだけでなく、かえって治ることをさまたげる作用をもっている。賢明にも仕事や生活を通じて、身をもってこのことに気付いた人は、理論学習をただちに離れて、その日のうちに全治することができる。徹底して森田理論によらないで、症状の苦痛やストレスを味わって他人のためにしみなく骨折ることをおすすめするものである。  

   2021.9.6



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