三省会

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宇佐晋一先生 講話


いったいなにが主題なのであるか

 本日の例会では宇佐先生は講話として、会場の出席者からの質問に一つずつ答えられるという形で進められました。

 質問:三聖病院の作業室に「忍耐」という言葉が掛けてあったと思うのですが、これは世間的な意味ではなく、何か仏教的な教えを意味するものですか。

 お答:このことについては前の院長が、最初は辛抱だ、我慢だと言いますが、実はそうではなく、症状や気になることに対して何もしない、そのままです、と申しておりました。それはただの「あるがまま」ということに他ならないことを申し上げておきます。

 質問:宗教は必要でしょうか。

 お答:宗教がなかったら自分をどうしていいか分からなくなるのです。神経症の症状がまさにそれの最たるものでして、自分のあつかい、あるいは心をどうしたらいいかということについて、あらゆる手を尽くしてもうまくいかなくて困り果ててしまうのです。ところが宗教はその答えをまったく必要としない状況で、一瞬にして解決する働きがあるのです。実際の生活ぶりそのものが信仰であります。宗教と言うと世間では、何宗であるとか、何派であるとか、それぞれ説教の内容が違うというように、頭で考えた世界ととらえられがちですが、実際は考えに関係なしの心の状態、変化のままの姿ですから、これはもう一瞬にして言葉なしで解決してしまうのです。

 質問:先輩方のアドバイス通りに実生活をしていく必要のあることは分かっているのですが、いざ行動に移すことができずに困っております。

 お答:これは不安神経症の方ならまさにその通りだと思いますが、今日発表されたAさんのように、大勢の皆さん方から見られている、ということで十分であります。それはまるでテレビドラマに出演して非常な緊張を伴って役をこなしている状況です。それであるがままはひとりでに勝手にできてしまいます。心をどうのこうのと取り上げる必要はまったく要りません。

 質問:私は強迫神経症のせいで気になって字が書けません。誰かとしゃべっていても自分の発言の中身が気になり、内心もやもやでいっぱいになります。そしてそのようなことが不安となって積み重なって眠れなくなります。

 お答:これについては私自身が皆さん方にお話しする時は内心もやもやで、筋を通して話をする余裕もないです。ですから、まったく出たとこ勝負、肝心な表現だけを工夫しながら皆さん方に分かっていただけるように申し上げるということです。内心というのは、心が整っているとか、落ち着いているとか、不安がないとかということを目指す必要はありません。
 また、心の問題では積み重ねというようなことを何もお考えになる必要はありません。雪が降り続いて屋根やひさしが潰れる危険性を考えるのと同じように、不安が積み重なって心が潰れないだろうかと思われがちですが、そういうことは決して起こらず、まったく放っておいたらいいのです。

 質問:メールで送った文字が間違っていないか、送った内容で相手を傷つけたりしないか気になって仕方がないのです。

 お答:私自身も依頼原稿の発送を月一回行っていますが、見直し、書き直し、あとからの追加、変更を何度も繰り返しています。これは読む相手がある場合は特に十分気をつけなければなりません。ですからどんどん文章を書いていらっしゃって、そこに表現の仕方の工夫をさらに加えながら、そこで悩んでいらっしゃればよろしいのです。それを自分の心の中の悩みを解決する方向へ持ち込んではいけません。自己意識の中というのは言葉はまったく無力で守備範囲を超えております。つまり心の中、自分の中に言葉でしっかりしたものを作り上げるという受け止め方をする必要はありません。

 質問:なかなかやる気が起きず困っています。環境を変えた方が良いこともあるのでしょうか。それとも森田療法ではモチベーションさえ要らないということでしょうか。

 お答:この方が今おかれた立場で、最も急がれ、最も必要なこととされている社会的な役割、骨折りをどんどんおやりになることです。その瞬間から、モチベーションがどうのこうのというような問題ではなく、社会的な難問に真剣に取り組んでいらっしゃる姿が他ならない全治の状態ですので、やる気というものを準備する必要はまったくありません。やる気が起こっているかどうか、あるかないかと振り返った瞬間に脱線します。
 前の院長は森田療法の極意として具体的な話をしなかったのですが、ただ一つ、長野市にある善光寺の本堂の床下に「戒壇かいだんめぐり」という真っ暗な曲がりくねった道が作ってありまして、そこに入ったら神経症はいっぺんに治ります、あるいは極意ですと言っておりました。私もそこへ入ってみましたが、一曲り二曲りしたら本当の真っ暗でした。手探り足探りで進むしかありません。つまり賢い見当づけというもののまったくなしに、ただその状況を打開する骨折りがあるばかりなのです。

   2017.3.12



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