三省会

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宇佐晋一先生 講話


美術史学事始め(10) 東寺(教王護国寺)の異空間

 東寺の東門を入ると、あの日本一の高さを誇る五重塔(江戸時代)も目に入らぬくらい巨大な金堂や講堂(いずれも桃山時代)が立ちならんでいて圧倒される。さすがに平安京を守る官寺の優れた輪渙の美である。その南にある南大門は三十三間堂の西門を移築した鎌倉建築として優れている。しかしその基段はこの寺を弘法大師に賜った平安時代初頭の延暦14年(796年)以来動いていないので、平安京の考古地理学的研究の基礎として貴視されている。

 ひとたび講堂に足をふみ入れると、その静けさにも増して異様な空間にいやでも引きずり込まれる。その東側の入口に近く、まず目をひくのは4羽のガチョウに乗った梵天である。その引き締まった美しい三面の顔に似合わず胸まで豊満なのである、対する西端の帝釈天は顔はわずかに後補ながら秀作でそれ以外は平安初頭の豊さがみなぎっている。なによりも見事なのは5体ずつの3群の仏像で中央が五智如来(これは後補)、東は五菩薩、西は教令輪と呼ばれる不動明王を中心にした、人を恐れさせて導く一群からなる。こういう構成は他に例がない。それもそのはずこれは弘法大師が密教の曼荼羅に示される平面表現を立体構成に組み立て直した独自のもので、その弘法大師ならではの構想の巧みさには敬服のほかはない。東の菩薩輪の中尊以外の四尊は創建当初のもので奈良時代の趣を色濃くとどめて気品が高い。西の教令輪の中央の不動明王は緑色を帯び、頚を向かって右にひねって睨む姿には恐怖よりも雄大さに圧倒される。他の降三世明王、軍荼利明王、金剛夜叉明王、牛に乗る大威徳明王、全て怪異な容姿で、古色の中に人びとを威怖させるに十分である。全て曼荼羅から抜き出されたものとは思えない現実感がある。

 金堂ならびに本尊はよく桃山時代の壮大さの風格に富み、他の追随を許さない堂々たるものがある。

 宝物館には昭和5年12月21日、終い弘法の日に焼けた元食堂の本尊の千手観音が539.3cmの復元された巨大な姿で立つ。天慶(てんぎょう)1年(877)の作。私は万寿寺の客殿の廊下で抱き上げてもらって西の空を赤くそめたその火事を見た。私の一番古い3歳と10ヶ月の記憶である。

   2024.2.26
参考文献
『古寺行こう 2 東寺』小学館2022


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