三省会

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宇佐晋一先生 講話


「光る君へ」のあとに出た緑釉瓦

 12月8日のNHK大河ドラマ「光る君へ」の終了後に恒例となっている関連の史跡訪問があった。今回は藤原道長の建てた法成寺跡と仏師康尚が藤原道長の依頼で彫った不動明王像が祀られている東福寺同聚院が取り上げられ有益であった。法成寺については2024年2月16日梨木神社境内にマンションを建てるため民間調査団「古代文化調査会」が井戸と寺域北限を示す溝を調査、はじめて緑釉瓦と井戸が見つかった。

 法成寺は、ドラマにも出てきた治安2年(1022)に引退して僧になった道長が主邸土御門院の東、鴨川の西の広大な土地に建てたもので、東京極通りに接していたので京極御堂と呼ばれた。道長のことを御堂関白と呼んだのもこの寺に由来する。ちょうど京都府立医科大学の南南西に当たり、荒神口通付近にあって、ほぼ鴨沂高校の地にあたるとされている。

 従来緑釉瓦は平安時代のはじめに大極殿周辺、東寺、西寺、東西の鴻臚館にのみ使用され、民間の寺ではやや降って仁和寺円堂(888年)に使われたのが最後であった。仁和寺円堂の瓦以外は左京区岩倉の幡枝瓦窯と北区西賀茂大将軍神社瓦窯の2瓦窯が知られるのみで、仁和寺円堂のはどこで焼かれたか不明である。

 テレビで紹介された緑釉瓦のうち軒丸瓦は単弁連華文で細かい蓮子を央房に20顆(想定復元)あらわしている。周縁も同様に小さな連珠文を描き、蓮弁の間に隙間がある。軒平瓦は水平に半裁した華文を交互反転してならべている。これは上記の瓦窯にはなかった文様である。恐らく他の地域の瓦窯だろう。因みに平安宮には福岡市の警固瓦窯からも、また鳥羽離宮には愛知・社山古窯から供給されている。

 テレビでは表向き道長に反発しない藤原実資が私記『小右記(小野の右大臣日記)』に道長が皇居の豊楽殿の鉛の鴟尾を法成寺の緑釉瓦の材料に使うため降ろさせて使った、と憤然と非難しているのである。
   2024.12.11

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法成寺跡出土 緑釉軒丸瓦(京都市考古資料館)
 

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