邪馬台国畿内説の解説の気になる間違い
週刊朝日ムック別冊 spescial 2014年12月20号に間違いを見つけたので書いておきたい。これは「歴史道」vo1.36「古代史の謎を解く」という魅力的なもの。考古学・古代史学・神話学などから邪馬台国をはじめ古代日本の諸問題に新しい光をあてて書かれている。その総合的な広い視野からする新たな見解が何とも面白い。それは一人ではむずかしいもので、数人の執筆で、それをうまく取りまとめているので読みがいがある。私も考えを整理するのに便利なので、読みながら楽しかった。
32ページまで読み進むと邪馬台国畿内説がイラスト入りで大きく報じられている。話題の中心は奈良・桜井市纒向遺跡で2009年(平成21)に見つかった4棟の宮殿で、出土土器から3世紀前半から中頃の建物とわかり、ちょうど邪馬台国に相当する。その建物群の範囲は東西約150m、南北約100mに及び、その東西の中心軸は計画的に1直線をなし、最大のD棟は南北19.2m、東西12.4m高さ10〜12mと推定される巨大なもので、現在のところ、当時としては国内最大の建造物と言える。2010年(平成22)にはこの大きな建物の付近の土坑から多数の桃の実や動植物の痕跡が見つかっている。つまりこの建物は住居というより祭祀を行う宮殿であり、卑弥呼との関係を伺わせる建物であった可能性をもっている。またこの建物付近からはベニバナやバジルといった希少植物の花粉が見つかっており、中国を通じて日本にもたらされたものであるから、国外との交流さえも想定されるものであった。纒向遺跡からは地元のものだけでなく九州から関東に至る全国様々な地域で生産された土器が見出され、都市的な人々の交流センターであったことがわかる。
これより前1950年(昭和25)に建物群の西の石塚古墳の南側周濠から彫刻板が出土し筆者に復元を依頼された。その結果円形にでき上がったので弧文円板という。もっとも古い直弧文の原単位で3段に構成されている。吉備の楯築墳丘墓内から破砕されて出土した弧帯石にそれが印象的に写しとられて彫刻されている。それが楯築に始まる特殊器台形土器に著明にも写されて大和の古い古墳の埴輪になっていく。ところが今度のムック別冊では「吉備地方にルーツを持つとされ、吉備と纒向の人々の密接な関係が類推できる」と書かれている。これは筆者の説を誤認したものであって間違いである。
2024.12.31