三省会

目次

宇佐晋一先生 講話

pic1

歴史をこえる 

 はい、こんばんは。たいへん失礼をいたしました、それでは講話をいたします。

 問題になってるのは自己意識。つまり自分が見た自分と、他人が自分をどう見ているかということについての意識。これが、いつにかかって皆さん方の、今晩の治られるかどうか、のるかそるかの大事な土俵になっているんですねえ。

 ですから他者の意識。つまり他人、それから他の動物、また植物、あるいは数字を使う計算、その他事業やいろんな仕分けや一般社会の科学、政治、経済、教育、文化、なかで芸術だけは外さなければならないのですけれども、そういった一般的なものが、今までどおり皆さん方の日常の大事な取り組まれる課題、あるいはお仕事、勉強である点に問題はありませんです。

 そうしますと、あれだけ広い悩みや神経症の問題が、ひと握りということになりまして、そこで今晩の講話が皆さん方にすぐお役に立つというのも、複雑多岐にわたるようなこの神経症問題も、もとをただせば皆さんご自身でこの日本語をお使いになる。日本語の文法をお使いになるという、そこに極まるんですね。

 それだけの話で、もし日本語や日本語の文法がありませんでしたら神経症は成り立ちようがない。それは英語でもフランス語でも構わないのですけれど、とにかく日本語のようにうまく普通は操れませんから、神経症もいい加減なフランス語の神経症、英語の神経症ということになりまして、まともな取り組みにくい相手ではなくなるだろうと予想しております。

 ですから簡単に今晩の勝負について申し上げれば、それは道具としての日本語と文法を、皆さんが一切お使いになることなく、ここに酸素が全くないところでの炎が、もうたちどころに二酸化炭素の充満している中で消えてしまうというように、神経症の成り立ちようがない。もう消えるほかありませんのです。

 その、なんか森田理論というものを唱えた人たちは、決して森田先生がそんなことおっしゃってないのに、戦後になってから、理論学習で治るというような具合の悪い治し方を系統化しまして、そういうことを一生懸命教育しているというような塩梅で、それではどこまでいっても知ることの範囲内ですから、自己意識というものが消える時がない、ですね。自己意識とともに神経症が成り立っているんですから、自己意識が消えない以上は、徹底した治った状態、森田療法における全治というものは望むべくもありませんです。

 ここでは理論的な学習ということを一切いたしませんし、森田先生の時以上にはっきりしてるのは、非分析である。

 森田先生は非分析治療で、精神分析とながらく対立して、その論戦が日本精神神経学会の名物であったといわれるくらいの伝説が残されておりますので、その非分析、分析でない治療であることは明らかですが、それ以上にここは非分析でありまして、決して皆さん方の、加えてなお分析しようとされるお考えを脱線としか申しません。

 これ以上に、ご自分の心の状態を分かる形に置き換えて、抽象的論理的に描き、それを実像、本当の姿であるというふうに誤認されるということは、もう今晩限りおやめになったらよろしいですね。

 そうしますと、今晩限りの次は何かというと、もう全治しかないんですね。だんだん治るということはありませんので、もう神経症の隣は全治。悩みの隣はいわば幸福と、いう。まっ、努力即幸福と1927年に森田先生が、お書きになった額がそこに、廊下にかけてありますとおりで、努力したらそれから幸福になってくるんではなくて、努力している、まっ、私が皆さんにこうお話していることが、もう私の今晩の今の幸福そのものであるんですね。

 ですからこんな結構な療法はありませんです。その、ほんとうの結構さが皆わからんものですから、あれだろうか、これだろうかと、いろいろ考えて想像して、その療法上の見通しというものをはっきりさせようとしていますが、もうはじめから「あるがまま」という森田療法の中心的課題は、見通しを持たないものなので、治るとか治らんとかから離れているんですね。

 治ると聞いたら飛びつき、治らないといったらそっぽを向く。というふうな今までの皆さん方の取り組みとは全く違って、そんなものに関係のない、今の本治りというそれが、実際の生活、仕事、勉強の真っ只中にのみ現れて、ですね、それがその都度、今の皆さんの仕事ぶり、働きぶり、 勉強ぶりと共に常に成り立つんですね。ですから、それをおやめになると途端に今までと同じような状態がやってくるわけでして「ああまた後戻りか」と、そんなことはない。その次の、後戻りの次は、もう全治のやってくる瞬間であるんですね。

 ですから、いくら後戻りしようがどうしようが一向構わないので、どっちにでも、なるとうりになっているのが全治です。という、前の院長のが一番確かな皆さん方への保証であります。

 神経症にまたなるときは、なるとうりになっているというのが本治りでありまして、皆さん方のように治る状態ばかりを目指して、そのための努力を惜しまれない。というのは、いわば目標が自分の治ることにどこまでも向いているという、決定的に治ることを妨げる考えであるんですね。 

 ですから全治の状態。本治りというのは、目標が必ず皆さんの離れた外にあること、ですね。

 それから、それが他の人にとって、あるいは動物にとって、植物にとって、あるいは無生物にとって、じゃあどうなのかというと、究極のところ、それが何々、誰々、それらのためにという事から離れて、ただその大事な働きのみがある。というように、なんの縁もない。そこに見事ないい行いが今ただちに現れるというかっこう、これが本治りの良い状態ですね。

 こういうのを縁のない、素晴らしくいつくしみのある状態。と言いまして「無縁大悲」。ちよっと今、いつくしみといいましたけれど「悲」、無縁の大悲。縁の無い、大いなるあわれみです、失礼しました。慈悲の「慈」という字が出て参りますと、これはいつくしみですね。

 「悲」っていうのは、悲しんでるんではなくて、これはあわれみです。ですから外へ向かっての同情ですね。あるいはお世話、あるいは対象に対して尽くしていくこと、サービス、すべて入ります。

 医師会で、まだ昭和のころにレクレーションで、観光バス一台で、京都のずっと北にあります、大悲山峰定寺という平清盛が建立した山の中のお寺に行ったことがあります。昔と今とずいぶん行き先が違いますね。

 平安時代末期のお寺で、それは大変高い山に清水寺のように舞台を組んだ、舞台を組んでいるところは必ず観音霊場なんですね。それは仏教でいう補陀落山という山に観音菩薩がいらっしゃって、33種類の変身を遂げて、今困ってる人に、ただちに助けにいらっしゃっる。ということを踏まえてのお寺の構造ですから、すべて舞台と言われるあの突き出た崖の上の構造物があるんですね。そういうのを懸崖造り。これは脱線ですけど、とにかく崖に懸かっていると書いて懸崖ですね。懸崖造りと申します、はい。

 で、この大悲山峰定寺というのは、鞍馬なんかよりも、ずーっと北にありまして、近づきましたらバスガイドが、どんな勉強してきたのか知りませんけど「なんともあわれな物語のあるような場所でございます」といったんですね。そんなん大違いで、そうじゃないんですね。これは、あわれみ。でありまして、人々に深くこう事情を察して同情する気持ちですね、これがあわれみです。これはいい精神作業です。

 どうも他の森田療法では精神作業を取り出して非常に重要視するというところは見当たらないのですが、ここは皆さんが他の方に同情なさる。というだけで全治と認めます。あるいはただ気の毒だというだけでなしに、どうしたら助けてあげることができるか、ですねえ。そういう具体的な ことを頭で考えていらっしゃる。というその計画の点でもう立派な精神作業です。

 また、退院される方を皆さんが大いにお祝い、祝福されます。これも良い精神作業ですね。その反対に私は昨日、精神科の病院の院長格の、よく活躍された方が亡くなられて、お通夜に行っておりましたんですが、そういう、お悔やみ、あるいは亡くなった人のことを追慕する。そういうことも精神作業です。それから人の困っておられる失敗を、気を落されませんように十分同情し、慰めるということも、そうですね。 

 精神作業っていうのは、おろそかにされがちですけれども、十分皆さんの立派な本治りの場面を作り出す大事な事柄です。

 ここでなさっています、写経をはじめとする手先のこまごました、ものを作り出すということも、それはいい作業で、その作業と治ることとは全く同一の事柄で、瞬間でいえば同じ瞬間ですね。

 作業してから、ぼつぼつ治ってくるのではなくて、作業してすぐ本治り、作業しているというその状況において、これ以上ないといういい治り方が実現するんですね。悩みの解決もまた同様です。  

 ですから第1期療法から第2期、第3期、第4期と順序よく整えられ並んでいるように見えますけれども、それは段階的な治り方を示しているあらすじではなくて、ですね、第1期で治り、第2期で治り、第3期で治り、第4期で治ると。その順番を全く逆転してもいっこうにかまわないです ね。学生さんが試験も近いということでしたら、第4期を先にして、それから第3期、で、第2期、第1期というふうにしても別におかしくはないんです。

 全てに通じて申すことができますのは、心に関係なくその場にふさわしい行動をする。ということですから、心はご自由。森田療法ほど心が自由に、そのまま持ってることのできるものはないです。

 他の療法は皆、今の心の持ち方は悪いから、心の持ち方を変えましょうという療法なんですねえ。

 精神療法といい、心理療法といい、それは呼び名が変わっても同じことで、精神療法というとそれは病院で健康保険で受けられる。心理療法というと臨床心理の人がされるので、健康保険に関係がありませんから、高い料金がいるという違いがありますねえ。 それから健康保険は厚生労働省の管轄ですし、心理療法は文部科学省の管轄。えらいその背景が違ってくるんですねえ、やってることは一緒で。

 あともう一つ宗教。そんなややこしいことまで一緒にいっててくれるなと、皆さんからいわれそうですけれど、この森田療法を今晩、身につけられたら、今晩、宗教を身につけられたのと全く同じでありまして、ここで40日を過ごされれば、宗教のからくりっていうものが、その手の内が全部わかってしまうんですね。

 ですから、もうあの大きな教団というものがね、どうして、あんな形で揺らぐことなく膨張して、つまり、だんだん大きくなってきますねえ。そういう、ほんと不思議な話で。

 宗教っていうのは、皆さんの今晩の、今の心をなんとかしようとしておられるのをやめさせて、それを良いとか悪いとかでなしに、このまんまほっといて、それで大事な皆さんの今晩の生活をなさるという、そこに自己意識の中を最もいい形で処理していくのが宗教の役割です。 それで自己意識の中の自分対自分の問題でありましてですね、なんかもやもやして、非常にこのわかりにくい、まっ、それはお経もあり、いろんな経典があり、そして、いろいろこうだああだと教えられる。なんか別の、ややこしい世界のように思われますけれども、自己意識にどんなことをしても、全部それは脱線で、そういう、さっき日本語と文法のことを申しましたが、分かる形に置き換えるということは全て抽象的論理的に組み直したものですね。だから実際の具体的な心の事実を全て離れておりまして、時にはそれを抑え、時にはそれを形作りして、結構自分の都合のいい心に作り直しをしようとされる。

 例えば、不安を安心に置き換えようとして薬を飲まれる。というふうなことは皆この療法からすれば脱線でありますし、宗教からしてもそれはおかしい。おんなじことなんですね。その森田療法でいおうとしていること、つまり、言葉と文法を、すっかり自己意識の中に持ち込まずに、人間の知性、知能、知恵というものは、全て外向きの道具としてお使いになるということですねえ。

 知的な能力が、人間ほど発達したものは、これまで長い生物の歴史の中ではなかったので、それは生活を、あるいは社会っていうものを今日のように立派に発達させる。ということで、他の動物と違った文化を築き、人類の発展はめざましいものがあります。

 けれども心の問題は、常に一からという、それは皆さんでも、ご両親さんから受け継がれるすごい大事な事柄によるのかっていいますと、そうではなくて、心の問題は、必ず皆さん一代のものでありますですね。

 教わって上手くいくっていうのは、皆さんから外の他者の意識、他人、他の動物、他の植物、他の事柄についてのことで、教育というものは、そこに大きな力を発揮するんですね。ですから自分対自分の問題、自己意識の問題に教育が大きな力を発揮することはありませんですね。

 こういうことをきっぱり申し上げておきませんと、何がなんやら、もう社会の事柄が、ごっちゃになってですね、で、もうおわかりのように宗教に教育っていうのは、ありませんのです。 

 こういうことをはっきり申し上げたら、どんなに皆さんのお役に立つだろうと、こう思うんですね。物事が、きっぱりしておりまして、人間の知恵、知能、知的能力っていうものは、全て外向きの発展をしておりますので、外向きの仕組みとして考えていただいて結構です。

 ですから今その用事が、本当の知能の守備範囲でない自分自身を対象に、何が何でも解決しようという悩みの解決に向かって間違った使われ方をしているに過ぎないんですね。

 それはまた同時に、宗教のまた最も嫌うところでありまして、宗教っていうのは、自分についてひと理屈こね回したらもう到底救われない。必ずそれは失敗に終わりまして、自分についての事は、全部神様仏様にお任せする。というふうにいわれるに違いない、ですね。

 こうやって見ていきますと、森田療法も宗教も、森田療法は科学的な医学的な精神療法ですし、宗教としての心のあり方、強いて言えば宗教心理学という分野がありますが、ともかく一般社会常識から離れた奇妙な論理で特色づけられた別世界のように思われている。これはある意味では正しくて、その論理を超えた、論理の役立たない、あるいは別の種類の論理の世界である。というふうに特色づけることは大いに結構ですね。ということは普通の考えを心の問題に持ち込むっていうことが防がれるんですね。

 皆さんは、普通の常識的なやり方を心の問題に持ち込んで解決に骨折っておられるというので、上手くいかないんですね。

 種明かしをすれば、もう実に簡単でありまして、皆さんの、これまでご両親から教わり小学校、中学校、高校あるいは大学というふうに勉強してこられたのは全て人間の知性の働きの対象になる他者、他の世界ですね。他人、あるいは他の動植物、その他の事柄に対して、もう例外なくどなたも科学者として、それを客観的によくとらえて、まっ、簡単に言えば実験的ですね。皆さんご自身からそれを体験してきておられた。ですからその証明というものは、一人皆さん方のみならず、どなたがなさっても同じ結果が出る、というふうに証明できるんですね。言葉として実証的である、ということですね。

 英語が流行って、エビデンス。そういう医学でも実績がものをいう、想像で予測していうているんではなくて、まさにこういう実際の成績がものをいうんですねえ。

 ところが心の世界もそうかというと、全く違いまして、心の方は全然論理が異なるんですね。ですから扱いは常識的であってはなりません。合理的であってはなりません。また理論的であってもなりません。それを森田理論というものを組み立てて、この学習で治るというのは全くの不見識と言わざるを得ないんですね。

 前の院長はこの大事な事柄を簡単に、理屈抜き。と申しまして、それで治る、というんです。何も森田理論、麗々しく掲げて、それを学習して、やっとこ治るというものではない。今晩、理屈抜き。それは言い換えれば、論理抜き。別の論理ですね、別種の論理が支配する世界。ですから普通の皆さん方がお考えになる筋道、論理っていうものは役立たない。というそこをはっきり見極め、心に、自分に、あるいは症状に対しては、ほんの少しも分かる形に置き換えた治療戦略。今日、薬屋さんが来ましてですねえ。いろんな、まっ、今日は動脈硬化、糖尿病との関係などいろいろと、いろんな資料を持ってきて、薬の宣伝をしていったわけでありますけれども、中に治療戦略といいますねえ。という言葉がありまして、それは高血圧あるいは、ひところ高脂血症と言われる、今は脂質異常症、脂肪の代謝の異常ですね、コレステロール、中性脂肪、そういったものの話ですが、それに関しての糖尿病との関係を、普通よりも糖尿病だと治療が難しくなる。それに対してどういう持っていき方をしたら良いかという話が書いてあるパンフレットを見せてくれまして、そこに治療戦略という言葉が書いてあって、その人と話して笑っていたんですけども、それはですね、こういう高血圧、あるいは脂質異常症、糖尿病といった、その体の病気、器質的の病気、どこかが障害があるという病気ですね、それならばそれでいいです。

 ところが心の、不安をはじめとする気になる症状。これは論理が全く異なる心の世界のことですから、治療戦略という常識的なあるいは合理的な、科学的な、こうすればこう治るだろうというものが、ことごとく当てが外れるんですね。したがって治療戦略の一つとして森田療法、中でも「あるがまま」という言葉のない世界を皆さんがお使いになりますと、もう到底治ることはありませんです。治療戦略が治るものをも治らなくしてしまう。これは誠に残念な事柄でありまして、今晩、直ちに皆さん方が、この治療戦略っていうものを放棄、手放し、ですね。放棄されまして、それで最も身近な、手近な、ですね。草引き、ごみ拾いから、スリッパそろえ。みなされましてですね、どんどんその瞬間、瞬間、全て全治です。

 私が家に帰ろうと思いましたら、片足が、庭ばき用のサンダルふうのものですけれども、靴脱ぎのそばにあって、もう一つが1メートルほど先、庭にあるんですね、ああいうのはどうやって入られたのか、ですね。ですから神経質、これが神経質かと思われませんか、人のを見て。神経質だったらもっと、ぴちっ、ぴちっ、ぴちっと揃ってないといかんですね。それがこうやって、ぱらっと、これなんやろうとこう思われる。

 よく見学に見えた方が言われる。神経質やったらきちっとなってるやろうと。そやないんですね。自分、自己意識の中だけ神経質で、外が大雑把、あるいはいい加減なんですわ。外のことに神経質にされれば、もう間違いなく全治ですね。

 で、ここの東福寺の僧堂、これはお坊さんの教育機関ですね、修行の道場です。ですから看板はそこへ行ってみますと、東福専門道場と書いてあります。 

 道場っていうのは、本来皆さんが、柔道とか剣道とか弓道とか、ですね、そういう武道の道場のことかと、すぐ思われますね、それは江戸時代にそういう形のものが流行ったからですね。けれども本来は鎌倉時代の昔から、道場といえば坊さんの修養、特に禅の修業の場所をそう呼んでいた。ですからみちと書いてあるんですね。

 道場っていうのは、長い私どもの昭和32年、1957年から今日まで53年間、こういう講話をしてまいりましてですねえ、最初、訳に困ったんですわ。もっといい訳はないか、もっといい表現はないかいろいろ考えて、これはみちを極める場所であるというふうに訳すに至りました。

 ここに、歩々是道場(ほぼこれどうじょう)。と書いてあります。一歩一歩が道を極める道場である。失礼しました、場所である。

 道場ってのは、したがってあれ、剣道場とか弓道場とか柔道場、道場ってのは、どうですかねえ。みちを極めてますか、どうですか。うーん、えー、まっ、そのほか合気道の道場がありますね。いろんなのがありますが、みちを極める場所っていうのは、これはやっぱり皆さん方、ここがその重要文化財でありまして、ですね、それほどのことなんですね。

 それほどっていうと、なんだそれだけのことかといわれそうですけど、それほど重要な場所であるんです。したがって、東福専門道場というてるほうが、本来の使い方ですね。ですから、なんとかの弓道の道場などというてるのは、ちょっとその違うんじゃなかろうか。

 武士道、どうだという、そうですねえ、何でもかんでもどう。と、こういいますが、ほんとにみち。極められるべき悟りに相当するみちどうっていうものが、そこで明らかにされているのかどうか、ですね。剣道、弓道、柔道、合気道、そこでどうっていうものがどう受け取られているのか、ということが肝心ですね。

 で、このどうっていうこれが究極のものであることは間違いではないのですし、森田療法でいったら究極のものは、言葉が出てくる前の「純な心」ですね。

 あるいはそれは、五つのひらがなで表される「あるがまま」。前の院長は「そのまま」という言葉の方をよく使いました。これみんな同じもので仏教でいうほうですね。

 ここは科学的な医学の治療をする施設で、仏教を身につける場所ではないと思われるかもしれませんけれど、仏法っていうのは、何者かではない、何かでないんですね。何かがあると思うので脱線するのでして、まさに皆さんの今こうしていらっしゃるまま。このとうり。そのような状況をほうと、こういうんですね。ですから抽象的論理的に一切論じてはいけません。分かる形に置き換えて、それで治ったということはありえないんです。

 で、再発を非常に心配されますが、本治りっていうのは、いつも次の瞬間、皆さんが実際の生活をなされば、それが本治りですから、いくら再発しようがいっこうかまわないのでして、ただ聞いたとうり、そのまま、心そのままで今肝心な仕事、生活、勉強についての前進を怠りなくなされば、その瞬間、瞬間は、間違いない本治りです。ですから心の中は、どんなに後戻りしようと、再発しようと、それが問題になることはありませんですね。それはご自由ということですね。心の中は、再発し後戻りしたままほっといて、実際の生活を間違いなくしていらっしゃるという、その瞬間、瞬間が本治りで、それ以外にありませんです。

 どうもその、2,400何10年前という、おおかた2,500年前、インドのお釈迦さんの頃、悟りを開かれた事実っていうのは、極めて明白でありまして、ですね。後にだんだんだんだんその細かく分かれていくその教団がですね、いろいろ、なになに派、なになに派とこう分かれていく、そこからがややこしいんですわ。あんまりややこしいんで、いっぺん皆んなで集まって結集、こう聞きました。私はこう聞きましたっていうのを、こう整理し直すんですけどね、またブワーっとこう分かれるんですねえ。

 ですから一番最初、日本で6世紀のはじめ、その、今は538年に仏教が伝わった。6世紀の538年ですね。ということになっております。そういう百済から伝来のそれ。それから8世紀になって、どっとたくさんのお経が、中国にあの孫悟空で有名な玄奘三蔵が持って帰って、それを中国語に訳す。これは一番たいそうな訳が行われて、その思想が大きく伝わったんですね。

 それから、その中の浄土教が日本に強く平安時代の末に影響を与える。それから鎌倉時代には新仏教としての浄土真宗、禅宗、一遍上人の時宗、融通念佛宗。そういったものがどっと出てくる。それでその平安時代の密教がありますねえ。天台宗と真言宗という、その辺でいっぱい非常に難しい教学ですね、仏教の学問の方が、お坊さんの修行には欠くことのできない学習的な要件となりまして、ですね、お坊さんであることは悟りを開かんなりませんが、十分な教学の複雑な深遠な教理を身につけなければならなかった。つまり勉強しなければならなかったんですね、大変なことです。

 弘法大師も伝教大師も唐の今日の西安市、西と安心の安と書きます。昔の長安の都に勉強しに行ってるんですね。もちろん修行もしたんですけれど、そいうたくさんのものを受け取って日本へもたらした。そういう功績があるんですが、いかにも仏教といえば勉強が主体のように思えてしまうようになりました。

 ところが、もとに帰ってみますと、なんのことはない。心を今のと違う別の心にするという自己中心的な自分の気持ちで、もっと安心したい、もっと癒されるものを持ちたい。もっと明るい気持ちでいたい。そういう人情から別の心を求めるようになるんですね、それをピタッとやめさせるのが本来の仏教の肝心な役割であったんですね。

 ですから悩みを聞いて、それじゃあこうしましょうというのはもう、すべて後手後手に回った下手なやり方で、仏教では、そんな、あなたどんなことで悩んでいますか、というような話ではないのです。従って仏教カウンセリングという立派な本がありますけど、そんなのはどう考えてもおかしいので、仏教にはカウンセリングなどひっつくはずもない。で、森田療法、私にカウンセリングありますかと、こう聞かれますね。いろいろお話しして、診察を済んでからカウンセリングありますかと。森田療法というのはカウンセリングに反対しているわけですからねえ。それがてんとわかってもらってない。無理もないことでしょうけどね。精神療法といえばカウンセリングだと思ってしまう。

 でその、悩みがどうで、こうで、どういうことがあってこうなって、という、そういうことがもう一切ない。

 つまり分析的な、その、心の歴史によって刻み込まれて抑圧された心が、普段は表に出てきませんけれども、中でこう、うごめいて悪さをする。というような考え方は、ですね、第2次大戦後にヨーロッパからアメリカを回って、ぐるっと一回りして入ってきて、たいへんな勢いでした。けれども今はもうそんなん気をお使いになる必要はありませんので、もっともっと早く、あっというこの声を出す瞬間もいらない、ですね。精神分析は3年、十分に治療しようと思えばかかる。3年というのは、もう1千日を超えますねえ。その費用たるや膨大なものですねえ。精神分析というのは、だいたい高いものと相場が決まっておりまして、ですね、私は精神分析を受けています、というのは一種の自慢なんですね。

 1952年に森田療法を知って、なんとかその人たちと話し合いたい。たまたまニューヨークで禅の集まりがあってですね。鈴木大拙という大先生が、文化勲章を受けた大谷大学の名誉教授ですが、その禅の先生が開いておられる集まりに関心を持って、それでカレン・ホーナイさんという相当年を取られた女性の精神分析家で、元はドイツからアメリカへ移った人なんですが、その人が昭和27年にこの京都へ来られて、前の院長もよばれて、今日のウェスティン都ホテルのロビーで夜遅くまで話し合ったということがあります。

 ここでしたら、皆さん時間というものがないんですねえ。治るのに時間を必要としないからです。ですから、なんとかそれをいおうとして瞬間的というてるんですね。瞬間的全治と。ですから1秒かかったらそれは全治ではないんです。時間的な1秒という、この、1秒前と1秒後が比べられる状況では全治ではないんですね。

 皆さん方が、今の次の瞬間がいつも全治であると。こう見ていただいて間違いないです。次の瞬間は皆さん生活、仕事、勉強しておられるからですね。去年あたりから私は「次は外」と皆さんにお話しして、特にその、素早く皆さんの外の仕事に取り掛かられるように、ですね。ちょうど「鬼は外」という、都合のいい言葉がありますから、それを真似て「次は外」とこういうんですね。その外っていうのはもう治っている見事な瞬間です。

 ですから3年間もかかる。お金も膨大なものがいる。というような精神分析ともう比べるべくもないです。

 あの第1期療法の最初の1週間で、皆さん方が還元法と右下に書かれたあの文字をどう読んでこられたか、ですね。元にかえすという、還元ですね。それは人間としての一番元の状態、生まれたての赤ちゃんですね。それが出発点、この森田療法の精神生活の出発点である。それはもう間違いなく日本語を知らない。日本語の文法も知らない。ですから抽象的論理的な考えを組み立てることができない。そしたら神経症は成り立たない。というところに目をつけたものです。

 言葉がそういう考えを組み立てる役割をしない状況におきましては、これが自分だというイメージはそこには絶対、描かれないんですね。自分がどのようにも決められない。というそこになんの見通し、なんの予測がたつか、ということですね。

 神経症は予測の上に成り立った病気のような状態で、将来を、まっ、当然のことながら、たいへん具合の悪い見通しで、そうなったらどうしょうということですね。不安というのは、見通しの極めて悪い状態です。学問的な定義では、うまくいくようにも見えると、けれどもうまくいかないようにも見えると、その割合は問いませんということですね。

 その、だいたいこの推薦入学で大学へ入れるとおおかた決まった。でもほんまに1%でも、ひょっとしてうまくいかんことがあるかもしれませんと、そういわれると、そこに不安を生じますですね、そうです。宝くじでも当たるか当たらんかが決まる前っていうのは、もう大方、当たらないだろうと予測はしているものの、まっ、不安ですね。つまり決定的なものがない。で、見通しに関係があるところに不安、あるいは神経症の大きな成り立ち上の要素があるんですね。

 ですから、その、治療っていうものは、世間では一般に、答えをその人に代わって出すということが一番親切なようにいわれておりますが、それでいきますと、何べんでもその相手に心配なたびに聞く。不安が出てくるたびに確かめる。というふうに誰かが必要になるんです。ですから普通、神経症っていうのは二人三脚みたいに誰かを頼りにして、誰かにもたれているんですね。これはもう依存的であるという一言で表現できる事柄ですが、それはもういわずと知れたことながら、他人の言葉が必要なんですね。答えが必要なんですね。確実な見通しを持っている、権威ある人の一言が必要なんですね。お分かりのように。

 それが、何から何まで要りません。というのが第1期療法。第1期療法でどなたもあれが全治だったんです。そうは思われなかったでしょうけれど、ただ心配ばかりに明け暮れしたというような第1期療法、あれで全治なんです。仕事はどんな仕事をしたって、寝ていなさいと言われて朝から夜中まで寝ていたという、あれが実行、実践、生活そのものなんですね。

 心はまったくご自由で、心にもないことをした。それが全治なんです。

 で、心にもない。というとお世辞などを考えますね。心にもないお世辞をいうと。そういうふうに心と関係なく今必要な、お世辞はまあ別として、とにかくいい役に立つ、大事なことを皆さんなされば、それが全治です。

 心に基づいた、いわば自己意識の中から割り出したやり方で乗り切ろうってのは、絶対うまくいきませんですね。

 そうしますと、見通しのない前進でいいんです。自分にこうすれば治るという見通しを持たないで前進なされば、言い換えれば振り返らない、ですね。決して振り返ってはいけませんと、そういうことです。

 京都の方はいつも少ないですねえ。ここにいらっしゃるのは遠いところの方ばかりですが、嵐山の京福電鉄の終点から西へ渡月橋、月を渡る橋という渡月橋を渡って、その西にちょっと小高く虚空蔵菩薩をまつったお寺がありまして、そこは13歳になると子供を連れて参るので有名で、十三参りといいます。そこへお参りして帰りに知恵を授かって帰るのだそうですが、渡月橋を東へ渡るときに渡りきるまで振り返ってはいけない。一般にそういわれていて、子供が後ろに振り返りたいんですけれども、そこは絶対振り返らずにまっすぐ京福電鉄の終点の方へ歩いてくる。そこの左側が天龍寺ですね。まっすぐそのまま行けば嵯峨釈迦堂清涼寺に突き当たります。

 はい。で、ともかく振り返らないというのは非常に大事でありまして、振り返ることは歴史性を持つ。外の歴史はもう動きませんです、決定的ですね。

 ところが皆さんの心の歴史っていうものが、同じようにあると思っていらっしゃるのは、引っかかった考えで、歴史っていうのは、心の歴史は見事にこえられる。それが森田療法の一大特色です。

 森田療法で皆さんが、今晩全治なさるということは、歴史をこえた状態。歴史というものにとらわれない状態というていいですね。


    2010.7.21



目次