三省会

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宇佐晋一先生 講話


心によらない生活の始まり  

 気がついたら、これまでの生活は心にふりまわされてきたといえないだろうか。まるでそれ以外の生活がないというふうに心を大事に扱ってきた。若い頃 戦時中で、医学の勉強のかたわら寺田村(現城陽市)の農家に勤労奉仕で泊まりこみで行って、六月の水田に入って草取りをし、足に蛭(ひる)が吸いつくのを手で払いのけながら仕事をしたことや、秋の稲刈りに忙しい奈良県の郡山市の西の矢田村の農家に数日手伝いにいって、「稲刈りは粘る仕事じゃ。のう若い衆」と老人からいわれながら、日が暮れるまで頑張ったことなどは、妙に生きいきした思い出として、精神教育よりもずっと鮮やかな記憶として消えないでいる。

 昨年亡くなった詩人で作家のなかにし礼さん(1938~2020)が「(普通の心のほかに)もう一つの自分を感ずることが大切だ」といった。それはわからぬことはない。多分詩情、文芸の心であろう。しかし「もう一つの自分」という所に自己所属感が残っている。じつはもっと肝腎なものがあることに気付いていない。それはどのような心にもよらない生活である。私が戦争中に農家で生活をともにした、あのしみじみとした味わい、生活感情とでもいうようなものである。そこにはおいしいというようなご馳走はなく、梅干と漬物で暮らす人々と働いた。幸福など考えもしなかった。ただご飯だけは「沢山食べてくれ」といわれた不思議な生活であった。だが感情的には豊かなものがあった。

 関連して戦争末期の頃、一般教養の時間に京大文学部哲学科卆の柴田清先生は、江戸時代前期の盤珪永琢禅師(1622~1693)の「不生(ふしょう)禅」について講義をされた。「盤珪禅師仮名法語」で知られる、もっとも日本的な禅の話で、禅師の口調がそのまま、生きいきと伝わってくる。「すべては不生で整いまする」という究極の禅意識は、自己意識内にことばと論理をもちこまない不生が中心になっている。ここまで説明すれば、賢明な皆さんは森田療法の「あるがまま」と同じだとお気付きになるであろう。自在な感情の世界も「驚きなば、そのままにてよし。用心すれば二つになる」と親切かつ用心ぶかくさとしている。禅も森田療法も、その極意はなにものでもなく、いわば無色透明なのであった。あとはただ心によらない社会に役立つ生活あるのみである。

   2021.4.3



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