三省会

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宇佐晋一先生 講話


あわての効用  

 「慌てたらいけない」と思って「どっしり落ち着いていよう」としている人は多いに違いない。でも「『せいてはことをし損じる』というではないか」と反論されそうである。それも覚悟の上で、あえて本当の心の持ち方を申し上げるならば、自己意識内に言語的制約はないということである。慌てたら慌てっぱなしで生活するのが最も精神的に健康なのである。

 意識を自己意識と他者意識にわけた場合に基本的に大事な点が2つある。
 1.知性は精神の外部機構、つまり外向きの仕組みである。したがって他者意識内容に対してのみ使えるが、自己意識内容に対しては守備範囲外なので、使うとすべて虚構になってしまう。
 2.意識は一つのことを考えると、それに集中し、同時に他のことを考えることができない。それは自己意識であろうと、他者意識であろうと、同じ現象である。この集中が強まると意識野(注意野)が狭窄し、自己意識も他者意識も同時に視野が極度にせばまって朦朧状態に陥ることがある。これはヒステリーの場合に顕著である。

 もとに戻って、あわてた場合はどれにあてはまるかというと、二者択一の決断に迫られている場合である。しかも解決が急がれるほど著しくなる。つまり意識野の狭窄が起こり、見通しがつかなくなってくるのである。実際には予測をあやまった行動様式があらわれ、無鉄砲な非社会的行動に走ったり、イライラするばかりで、うろたえて行動もままならなくなる。火事の火元となった人の場合である。

 そこで一つの提案がある。それはいずれの場合にも必ずや起こるであろうと思われる、自己意識内のあわてた状態(これは狼狽反応と呼ばれる)への調整や抑制をやめて、他者意識の世界にのみ、とりあえず新しい工夫、発想のもとでの取り組みを始めることである。あわてている時は精神の発動性が高まっているから、自己意識内への対策に手を出さずに事にあたれば予想外の道が開かれるものである。そこに新しい賢明なあわて方ともいうべきものが沢山の効用とともに現れるに違いない。

 ここまではいわば常識を逆手にとった森田療法的解説であった。今これを突破口として、本ものの森田療法をぴったりと身につけていただこう。それは想像したのよりいとも簡単なので、かえって疑わしくさえも思われるであろう。森田は全治の姿を、木に登っている時に譬えた。そのために「君はもっとハラハラしたまえ」が口癖だった。もちろんその時には、なすべき社会的な必要事に、心に関係なく、もっとも着手しやすいのである。

   2023.11.3



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