三省会

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宇佐晋一先生 講話


「あるがまま」は自己意識の真っ暗な状態 

 私は大本山東福寺のなかの龍眠庵で生まれた。その東隣は、今は特別養護老人ホーム洛東園になっているが、昔は海蔵院という格式の高い塔頭たっちゅうで管長が住まわれ、僧堂もまたそこに併設されていた。私が生まれて間もない頃のことで、のちに母から聞いた話であるが、1927年の秋の夜中に庭の上のほうでガサガサ音がするので、柿泥棒と察した父の義弟が「誰や?」と一喝すると、「ドスーン」という落ちる音と共に「うーん、うーん」とうなる声がしばらく続き、それきり静かになった。明るくなってから見に行くと、人は居らず柿の入った僧堂名を白く染め抜いた黒い頭陀袋ずだぶくろが落ちていた。それで、柿をいくらか追加して、竿の先にくくりつけ隣へつき出して、ぶら提げておいたそうである。

 そこで思い出すのは、森田正馬先生が全治の状態を木に登っている時のように、と例えられ、「もっとハラハラしたまえ」と言われたことが伝わっている。もちろんこれは他者意識上の注意の十分に行き届いた精神作業を指している。世間の人が緊張を嫌って、もっと落ち着こうとする修練に努力するのは自己意識上のやりくりで、まったくの脱線であることは言うまでもない。今にして思えば、第二期療法の注意書に「四方八方に気を配り、よく注意して仕事をみつけ、ぼつぼつやりなさい」と指示されていたことが懐かしい。もうここに極意は存分に示されていたのである。

 魚返善雄著 『禅問答四十七章』 は中国の宋時代の無門慧開の編になる 『無門関』 の訳であるが、中に大泥棒が息子に極意を伝えるべく実習に連れていく話がある。夜中に豪邸に忍びこみ、長持ちをあけて息子に中に入って探すように命じて、蓋を外から閉じてしまった。おまけに家から逃げる時に「泥棒が入った」と家人を起こしたのである。意外な状況に驚いた息子は、それでも一策を案じ、鼠が長持の中でかじっているような音を立て、気にした家人が蓋をあけるや否や跳び出して、逃げる途中に庭にあった石を池に投げ込み、「泥棒が池に落ちた」と叫びながら走り、家人がそのほうに気をとられて探している間に逃げおおせたという話が禅の極意として紹介されている。これは泥棒という悪行を肯定しているのではもちろんない。絶体絶命の境地にいて、緊張の真只中で知恵をしぼって危機を脱出する、その「ハラハラ」が究極の真実そのもので〝ただそれだけの、自己意識が少しもあらわれない〟状況なのである。  

 森田先生のすぐれた見識のうち、世界の他の精神療法に見られない「外にハラハラと緊張させて完治させる」という方法は今から考えれば、他者意識のみに専念させて、自己意識内容を少しも留めない、それこそ申し分のない〝あるがまま〟の状態が期せずして実現するのである。森田理論に裏づけられて、「あるがままの本質追求から考え出されたもの」ではなくて、予想する前にある、ただの事実が考えなくてもおのずから十分にあらわれたのである。

 ここで大事なのは、究極の全治の意識は他者意識のみであって、ほんの少しも自己意識を併せもつことはないという事実である。実際いかなる場合も意識は単一性が保たれ、決して二つ以上の意識が混在することはない。したがって仕事に専念する時は他者意識が明るくなって優位な状態であるから、同時に自己意識は明るくはならず、暗いままである。これが「あるがまま」の実態である。いままで「あるがまま」を実現しようとしたあらゆる努力が如何に無駄なものであったか思い知らされるであろう。「あるがまま」の努力がいらなくなるのは、すべての他者意識内容が明るい時であったことを考えると、泥棒でもそれは実現できることがよく分かるが、もちろん反社会的行為であるから許されない。

 他者意識における精神作業や身体作業は、一にも二にもそれは精進である。具体的に言えば感謝とサービスで、社会を良くし続けることにほかならない。

   2022.11.13



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