室生寺細見
室生寺について書くのは2回目であるが、それほど書き洩らした点が多いのである。
まず弥勒堂(今は宝物殿)に静かに佇む釈迦如来坐像、これは行く前からの大きな見学予定対象で、仏教美術の図録で特筆されている逸物である。堂に入り少し薄暗いなか先ず見えてくるその左横顔の秀麗さに驚かされる。キリリと引き締まった尊容は鋭いまでに気高い。奈良系の木彫の増加する平安前期の仏師の技術が金堂諸像より前にこれほどまでに発展をみたことに感心させられる。言いかえればこれは翻波式と呼ばれる流れる波のような衣紋の線が肩以下を包み、それがまた上品で、清々しいのである。目の前にあると、写真では見られなかった立体感が様式化された波の線のように整った衣紋を浮き上がらせ、張りつめた緊張がみなぎっているのである。類例をほかにしらない。惜しむらくは光背が失われている。
金堂の本尊に移ろう。向かって左から十一面観音立像(国宝)、文殊菩薩立像(重文)本尊釈迦如来立像(国宝)、薬師如来立像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)(いずれも平安前期)ら5体が横1列に並ぶ不思議さは仏教の教理からは理解できない。今は春日神社の祭神すなわち鹿島神宮の武甕槌命、香取神宮の経津主命、牧岡神社の天兒屋根命と比売命の御夫婦、その御子(若宮)天押雲根命の五柱を観請して、そのインドにおける本地仏を5体の本尊としたのであろうとする往年の猪熊兼繁京大教授の説に従うのがよさそうである。どの像もやや平板で抑揚のない尊容で、おしなべて穏やかな彫成は、先にあげた釈迦如来坐像より時代の遅れを感じさせるが、よく残る板光背の絵画的構成の見事さにおいて他を圧倒するものがある。各本尊の板光背には各仏菩薩像の化仏が小さな像で本尊をめぐって描かれるがいずれも丁寧に表現して唐草風に丸く繰り返される宝相華のなかに配置するのになみなみならぬ工夫が込められている。全体にゆったりと組み立てられ、流麗という趣には乏しいが、よく平安中期の時代相をあらわしてまったりとした落ちつきを見せている。
本尊の前に立つ十二神将は本来薬師如来のそばに立つものであるが、ここでは本尊・諸仏・菩薩の前に並び迫真の傑作で、際立っている。本尊と同一仏所の作かと疑いたくなるほどで、鎌倉時代の作である。
2025.3.25