三省会

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宇佐晋一先生 講話


願ワクハ婆子 永ク苦海ニ沈マンコトヲ 



 たぶん参考になることを聴く機会だろうと。講話を聴いて、それをヒントにして上手に治していけば、治るということも競争で、早かったり遅かったりするだろうと。それ全部間違いでありまして、第一ヒントではないんです。講話は学校とか塾とか講演会の会場のように見えますから授業ということを考えたり、今まで知らなかったことを勉強したりというふうなことを雰囲気から感じてしまわれるでしょうけれども、それが一切ないというところにここの講話の大きな特色があります。

 それは一番最初から申し上げておけば、きっとお役に立つことは、わかって治るということがない。ということで、もっとほんとのことをもうしますと、治そうとする前に治っている。治そうとしたばっかりに治らなかった。という、このへんのところを、なかなかのみこみにくく思われるでしょうけれども、自分に関わったらいけないんですね。自分の考えが自分をなんとかしようという、いちばん助けたい自分のこの不安を解決したいという願い。これは共通してどなたもお持ちになっていらっしゃるわけですから、つい手が出るんですねえ。ところがそれを最初にするともういけませんので、まず生活を先にする。それはみなさんのお食事が生活ですね。顔を洗うこともそうですね。

 夜の10時、木の板を上手に叩いていただいておりますですねえ。お一人お一人叩き方がこう、リズムも変わっていて、それ自体独特の趣きがあります。独特というのはその方なりの趣きがあります。

 昔はね、午後9時に東福寺の僧堂で同じように木の板を叩いておりまして、それはあそこは早いのでここは10時ですけど9時に消灯なんですね。それを枕を開くと書きまして開枕かいちんというんですね。その音が私が窓を開けておりますと聞こえたものなんですねえ。このごろほんとに世の中が変わりまして、本当の話と思われないでしょう。もっと不思議なのは、みなさん夜の何時かに、ゴーンと鐘が鳴るのを聞いておられるでしょうか。とくに不眠の方なんかお困りであろうと。常識はずれですね、真夜中に鳴らす。しかも一回や二回ではないですからね。不眠の方によくその鐘の音を聞きなさい。数えなさい。何時から何分から何分までか、それもよく調べなさい。といってますと、いっこうそれにお返事がない。つまり、そんなの聞いておられないんですねえ。不眠で困っておられるぐらいなら、そんなのはなんでもないと私は思いますけども、まともに答えた人はない。

 あれなんかどう考えてもおかしいですね。なぜかといいますと、この東福寺の開山 聖一国師、聖徳太子の聖と数字の一、二、三の一を書きます。日本で一番最初に国師という号を皇室からいただいた人です。

 その聖一国師が、それより先にみなさん教科書でお習いになった栄西、栄えるという字と西と書きまして、栄西禅師が臨済宗を中国の僧から伝えましてですね、建仁寺というお寺を開きました。ところが建仁寺、栄西禅師のあとを継ぐ人が一時途絶えた、いなかった。それで聖一国師が東福寺から応援しておられたんですね。東福寺のお弟子の雲水の人たちを指導して、そのあとここから出発してですね、約3.5キロあります。真北ですけどね、そこへ歩いていかれたんです。その今から出発されるという合図を東福寺のお弟子のお坊さんが建仁寺に知らせるために、ゴーンと撞いたんですね。ほんとによくそんなばかばかしいことをよくやってるなあと、今眠ってる人の目を覚まさせるようなことですからねえ。やめてもいいと考えますけれども、伝統を守っているんですね。そんなことしているお寺はほかにありませんです。たいへんばかばかしい伝統でありまして。で、たぶん真夜中になりますから建仁寺で泊ってあくる日帰ってこられたんだろうと思うんですね。そういう二つの僧堂をかけもちしておられた聖一国師の出発の合図であるというふうに伝えられています。

 で、ある時、あまりにやかましいので、ここに入院している人が、もうちょっとなんとか静かにいていただけませんでしょうか。といって、ちょっとお菓子持ってたのみにいかれたそうです。不眠で悩んでおりましてですねえ、せっかく入院したら真夜中にゴーンと鐘を撞かれて困っております。で、今晩こそたのみに行ったので静かに小さく撞いてくれるだろうと、こう思ってましたらですねえ、かえっていつもより大きくゴーンと撞いたんですね。まあ笑い話なんですけれども、その人は期待が大きい、今日こそはたのみに行ったから小さく撞いてくれるだろうと思っていますね、そこに刺激は同じ刺激であってもきつくこたえるんですね。

 ですから皆さんがこうしたら治るだろう。こういうふうにもっていったら早くうまくいくだろうと。そういうふうに症状に対して期待しておられるということは、その反対の結果を敏感に強く感じるという逆のことになるんですねえ。ですからそういうことはむしろもう期待をなさらずにほうっておくと。ここで今申し上げているのは森田療法がうまく効くかどうかですね。半信半疑で、こんなんで治るだろうかと思っておられるんですね。

 三省会の方がですねえ、もうとうてい長生きできない。治るとは思っておられなかったんですねえ。ですから私がいくらお話しても、こんなもんで治るだろうかと思ってたそうです。それがなんと入院して10日たつかたたないかで今までところっと変わってしまって、おうちの人が面会にみえてびっくりされた。

 それぐらい人間の意識、これ意識に関係のある問題ですからね。どこかが故障しているような本当の意味での障害といわれる状態ではありませんのです。強いていえば主観的障害ですね。他の方からは元気に見えて、皆さん方だけがこんなに悪い。こんなにつらいと言っておられるようなものです。ですから自分で見た自分というものをもとにすえて、そこから割り出した治し方は全部失敗に終わります。じゃあ客観的にはどうかといいますと、まったくどこも悪くないんですね。 

 ということで、治すという言葉がもうそもそも当てはまらない。普通の病気なみに全治とか完治とか治るという言葉を使いますけれども、これは不健康な状態が健康な状態に変わるという意味のものとしてお受け取りになると、まるであてが外れますですね。もっと正確に言えば、いまのは考えた人生、考えた心、考えた自分、なんです。それは世間の人ほんとに気がつかないですね。

 みなさんこれマイクロフォンと思っておられる。マイクロフォンでないものが見えない。「これマイクロフォンじゃないですか」と、こうなるんですね。ですからマイクロフォンでないものが見えたらもう今晩見事に全治なんです。

 そいうふうに人間は今まで憶えたものの名前、それから機能を考えでとらえていますから、それを離れたらもう分からないようになってしまう。言葉をとってしまったら、なにがなにやらわからないようになってしまう。ところがこれははじめから言葉がないものなんですね。

 今とにかく、これはマイクロフォンだという認識ですね。簡単に言えば、そのように分かるということから離れてこれをご覧になることはいともやさしい。

 私は真実に生きるというのを言葉としては治るというよりもよいと見てます。ただ真実というのは言葉であらわしたものではないんです。ぶっつけの、これ。つまりマイクロフォンでないものが真実なんです。しかし皆さんはマイクロフォンという言葉でこれを見、これを知ってしまわれる。それで治りにくいんですね。ですからいっぺん言葉を外して生活なされば、この神経症、悩みの問題はいち早く簡単に解決します。

 東京の週刊誌の人が、昨年森田療法について聞きたいと言って長い時間一生懸命書いて帰られた。それで、待てど暮らせど9月に見えて、いくら待ってもその週刊誌を送ってこないのでどうだろうと思いましたらね、昨日電話がかかってきて、どうしてもうまいこと書けませんでした。ということで、もうこれで9カ月たちますねえ。それでもういっぺん補足的に聞かせてもらって書きたいですと。まっ、熱心なことは大変結構で、待ってるわけですが、その間に勉強したんだそうです。森田先生がいらっしゃった慈恵医大の森田療法センターに行っていろいろ教わってきました。つまり教わるといろんなことでまた書き方が変わってくるんですね。ここだけでしたら非常にまとめやすいはずですけれども、ちよっとその、皆さんが本をお読みになった森田療法と違いますわねえ。森田先生の本来はっきりさせようと思われた事柄が、今は分かる形に置き換えられて、その意味では勉強しやすい。森田療法が分かりやすいんですけども、治す上には大変妨げになる。これをマイクロフォンといって解決しようとしているような、かえって難しくしてしまうものがあるんですね。

 外の問題は名前がないと区別しにくい。それをどうするこうするという問題も、共通の呼び名としてこれはマイクロフォン、とこういうことで話がうまく進むわけですね。けれども、それと同じことが自分の問題、心の問題ともなりますと、その名前を決めたことで動きがとれなくなる。

 よくお話をする平常心、お坊さんが「びょうじょうしん」と言われますが、そいうものがあると思ってしまうんですねえ。非常に辛い、イライラして落ち着かない。これは平常心を取り戻さないといけないとか、なにか平常心というような心があるように思えてしまう。それは言葉で決めたからです。平常心というもの、特定のものがあるのではないんですねえ。その時ありあわせの心、今ある皆さんの講話を聞いてくださっているその心が平常心でありまして、決して平常心と非常心、まっ、そんなこと言う人はいないんですけどね。普段の心と非常、つまり普段でない心、普段どうりでない特殊な状況における心というものが別々にあるのではないんですねえ。ですから心はなるとうり、変化のまま、ただほっとくというだけの話であるんですね。

 長い日本の伝統で心が大事であるというふうに言われ続けてきたもんですから、皆さんこそ迷惑しておられるんであろうと思うんですねえ。心なんかどうでも良いといったら世間では常識のない人である。不埒な人間である。心を綺麗にして磨くぐらいにしないといけないのに、どうでもよろしいというのは困った人間だというようなもんですねえ。ところがここはそれを承知で心は蜘蛛の巣が張っててもよろしい。埃が1ミリメートルも たまっててもよろしい。よろしいというのは良し悪しがないという意味です。心は関係ないんですねえ。

 心というのは自分で見た自分の状態、あるいは人がこう見ているだろうと、これ自己意識と呼んでおりますが、その内容は決して向上させるべきものではない。ただ一切手出しをしない。その成り行きのままに手を引いておく。あるいは負けておく。成り行きのままのときが真実に生きる見事な状態で言葉が引っつくともうだめなんですね。

 今日入院された方が第一期、半日入院してから横になってやっておられて、自分は犬を飼ってますと、で、犬が繋がれて何もなかったら寝ている。ということを思い出した、というんですね。第一期療法で寝てばかりいたら辛い、退屈なことに違いないですけど、犬を連想されたというのは面白いですねえ。

 そうなんです。犬は言葉を知らない。ただそういうふうにこうしなさいとやっている。で、犬を人間は思い通りに命令してそうさせようとします。お座りとかお手とかなんとか。それからお預けとかいって美味しそうな食べ物を目の前においてよだれ流しながら待ってる。というような、感心な犬だ。飼い主のいうことをよくきく。とほめたりして犬も辛いことですが、テレビでお預けといってからぱっと飼い主が部屋を出る、そこをテレビで写している。という実験を見ましたが、やっぱり犬も主人がいると守りやすい、ですね。守ってるんです実際。ところが主人が部屋から出て、言われたことを忠実に守って食べないでいるという犬は少ない。やっぱりその、時間が経てば初めは守ってるんですけど時間がたつと食べてしまう。そういう非常に参考になる実験をテレビで見たことがあります。別に犬が悪い訳でもなんでもない。

 で、その、皆さんにしてみればしたいことをしない、ですね。したいことをしないということはお預け的であるんですね。第二次大戦後の日本で流行ったアメリカ流の心理学の言葉に、フラストレーションという言葉があって、これは欲求不満と訳された。いかにも手に入りそうに見えていて、あるいは他の人は持っている一般的なものであるのに自分には手に入らない。で、それは品物と見てもいいですけれども、心というふうに見て私らの先生は、みんなが戦後にだんだん物質的に戦争中のようなことがなくなって、こう豊かに手に入るようになってきて楽しんでいる、ところが自分は不安が強くてどうも楽しめない。そういう形で神経症が起こるというようなことを考えておられて、まっ、私はそう考えていないんですけどね。それも一つの理由、戦後に神経症、今のうつ状態が大変増えてきていることが憂慮されていますように、第二次大戦後はその神経症をドイツ語でいって、「ノイローゼ」が増えたと。それは非常に心配されたことであって、この私の先生の教授は手に入りそうだけれども入らない。欲しいけれども手に入らない。そういう欲求不満で起こると、こういういうアメリカ流の心理学を使って説明をされたものです。

 ところがですね、どうしたら治るかということばっかり考えてその治療の責任のある実践者として、私はしたいことをしない稽古をここでしてもらってたんですね、それできれいに治られた。

 今は薬があれもこれもいっぱい皆さんのお役に立つような顔をして出てくる。しかもそれを抗不安剤、抗不安薬。どっちでもいいんですけど人によって呼び名が統一されていません。そうすると不安が消えればいいと、こう思ってしまってそっちの方に流れる。治療の主流がそっちにいくんですねえ、楽になればいいと。これでは本格的な治療にはなりませんのです。で、ここは抗不安薬ができる前から、昔いい薬なかったんですよ。それで、ちょっとましな薬が出てきたのが昭和28年、9年といったあたりですね、でも一般的ではなかったんです。そういう昔は精神安定剤といっていた、そういうものを健康保険で使うというのはそれなりの理由がないといけなかったんですねえ。今はもうなんということもなしにどんどん使っていますし、いくら薬を使っても抑うつ状態、うつ病や、気が沈む状態の人が治ってくれたほうがいいと、薬をいくら使ってもいいから治ってほしいと。

 ちょっと自殺の傾向が減った。この上半期ですけど、6月いっぱいまででちょっと減ってきたのは大変結構なんですね。けれども減ったといいましてもその2倍、つまり1年に置き換えますと、やっぱり3万人を超えているのには変わりがないんです。ほんとにこれは心配なことですねえ。

 で、その、本当は薬がその人を楽にする。ということが悪いんだと言いたいのですけれどもねえ。つまりね、人間は楽になると、その反対がものすごくこたえる。薬で不安が消える、楽になる。といっている間はいいんですけども、そうでない状態に対して敏感になる。不安に対して敏感になる。恐怖に対してますます怖くなる。

 ところが森田療法はどうでしょうか。もう皆さんお分かりのように安心と不安を同時に解決するんです。これ東京から取材に来てくれるという週刊誌の人に今度はよくいっておかないといけないんですが、今ここでは安心と不安、不安対安心ですねえ。ところがこれ世間でいえば生と死の問題。

 今、自殺のことを申しました。生と死というその死ぬ。ということ何が何でも防がないといけないと、こうなるんですねえ。そしたら生。生きていくということについての、まあ私からいわせたら解決ができてない。皆さんについて申しますと、不安をなんとか薬でなくすということができても、安心についての解決ができていない。というふうなことが申し上げたいんですねえ。

 なんでうつ状態が増えるのかというのは、薬に責任があるかもしれない。と密かに思っているんです。つまり楽になるから、ですね。もうはっきり私の主張を申し上げれば、皆さん方ももっと苦しまねばならない。といえば神経症は絶対成り立たないんです。

 もうちょっとでよろしいから苦しんでくださいと、まっ、誰かがいう。いう人はいないんですけど、まっ、私がいうとして、ですねえ、明日は今日よりもうちょっとでよろしいし、苦しい状態になってくださいと。そうしますともう神経症自体成り立たない。どう治すかどころか、あれっ、神経症なくなった。というようなもんで、これが生と死を同時に解決するやり方、ですね。つまりね、楽になるということだけを目指すと、安心も不安も非常に際立った違いとして、要するに安心と不安との比較がこたえるわけです。それを片方の不安だけをきれいに無くそうということになりますと、かえって安心がうまくいっただけに不安がひどく目立ってくるんですね。楽になることばっかりがうまくいくんです、ということになりますと、うまくいかないとき、苦しい状態、辛い状態というものが非常にこたえる。そうしますと、もう生きてるのが辛い、と。それはそうなりますわね。今本当にそれがわかってくれる人が、皆さん方はここでよくわかってくださいますが、少ないですね。

 これだけ皆さんに一生懸命お話し、聞いてくださってありがたいんですが、退院される方が日記に「まだ不安がすっかり消えたわけではありませんが」と書いてある。この程度なんですねえ。人のことをいって悪いんですけども私にしてみたらがっかりですねえ。まだ不安は完全に消えたとはいえませんが、というような、何をいっておられるんですかねえ。

 おとといは月曜日ですか、その前の日曜日に、「苦痛を苦痛し、喜悦を喜悦す、これを苦楽超然という」という森田先生の掛軸、書かれたものを持ってきてご覧いただいたんですねえ。そのあとの日記にそう書いてある、なんということでしょうねえ。まっ、言い換えたら不安が消えたら退院しようと思っておられるんですねえ。

 で、そういう考え方は世間一般にあるわけです。ですから抗不安薬、抗不安剤で不安をとりあえず楽になくしてしまうと。不安をなくしてしまったらそれでいいと。世間の人は非常に短絡的にそう思うわけですねえ。ところがここは、そのようなことをいいませんでしょう。不安を消しましょう。不安を薬飲んでもいいから楽になくしましょう。不安を目の敵にしてなくそうとする、というようなことはここはないですね。

 それでそういう考え方。つまり、不安を薬を使わずに上手に消せないのでまだ完全に消えたわけではありませんが退院します。というのは本当にもうかないませんですねえ。森田療法を受けましたとはとてもいえませんですねえ。

 中国の唐の時代といいますと、618年から907年までですねえ。その終わりの頃に趙州禅師という人が出て、これは普通読むときは、ちょうですね。ですけどこの人の呼び名だけは、じょうと読む。趙州観音院というお寺に住んでいた偉い禅の先生で指導がうまい。この講話でも一番よくその話が出てくるかと思いますがねえ。一般の人とのやりとりが話として残っている。

 鎌倉の松ヶ岡文庫。鎌倉の円覚寺の門より前に東慶、東という字と慶応大学の慶を書きまして、東慶寺という駆け込み寺で有名な所があります。

 前の院長が医者になったものの貧しい僧侶でありましてですね、どうしたものかと困って鎌倉円覚寺の管長でした釈宗円老師がインフルエンザで大正9年、8年に猛威をふるったインフルエンザ、9年まで続いていたんですねえ。東慶寺という円覚寺から離れたところで静養しておられたんですね。そこへお伺いしてどうしましょうといいましたら寺を出なさい、といわれた。それでこの病院ができることになったんですね。お寺で細々と診療所でもやってたらとてもうまくいかないんですけど、まっ、大本山東福寺のたいへんな後押しがあるということはもう感謝にたえませんですね。

 その東慶寺で松ヶ岡文庫という鈴木大拙先生が禅関係の書籍を多く集めておられましてですね、東慶寺の側に住んでおられたんです。そこに趙州禅師語録というのがあって、うらやましくてしかたがなかったんですね。その鈴木大拙先生の口語、つまり日本語でも読める形にして出版されたんですね、たいへんうれしく思いましたものです。ですからあんまりよく読んだら和綴じの本でね、紐で綴じてあるんです。その紐が切れてばらばらになりかけている。まっ、一番よく読んだからですね。

 そこにどのくらい年取ってるか知らないんですけれども、お婆さんと書いてある。その女性が趙州禅師のところへ訪ねてきて、男の人に比べて女性は五つのハンディキャップがあります。生まれながらに人生的に負担が多いということですね。五障、障害の障ですねえ、生まれながらにこういう差し障りが五つあります。つらいことです。どうしたもんでしょう。と、趙州禅師に尋ねたんですね。

 こういう話は趙州禅師語録、非常に特徴的でしてねえ、とっても参考になるんです。他の禅の偉いお坊さんの語録というのはそういう一般人との関わりがまず少ない、書いてあるのが、ですね。

 そしたら趙州禅師が、願わくはお婆さん、どうかお婆さん、永久に苦しい海に沈んでいてほしいものです。と、えらいことをいったんですね。
 「願ワクハ婆子、永ク苦海二沈マンコトヲ」と。
 「五障ノ身、如何二シテマヌガルルヲ得ンヤ」と。どうしたら逃れることができますかと、こういってるんですね。そしたら趙州禅師が、「願ワクハ婆子」 婆子っていうのはお婆さんと、呼びかけているんですねえ「永ク苦海二沈マンコトヲ」と。

 これは絶対神経症が成り立たないんです。さっきお話したことですねえ、どうしたらこの辛い状態をまぬがれることができるでしょうか。と、やってる間が神経症あるいは悩みであるんですねえ。趙州禅師のほうはもっと苦しまねばならない。ということをいっているんですねえ、そうしたら悩みも出てこない。神経症も成り立たない。治すことが問題ではなくなるんですね。

    2010.7.7



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