三省会

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宇佐晋一先生 講話


「自分らしく」をやめたらどうか

 長いこれまでの人生の思うにまかせぬ苦労の絶え間なかった毎日を、せめてこれからの人生は「自分らしく」気楽に過ごしたいと思うのも人情としてもっともである。そのことは幸福や安心の追求を究極の願いとする点と共通している。なかでもしかし「自分らしく」はひときわ優れた生き方として語られるように思われる。人がどう思っていようと自由だと言われるかもしれないが、いろいろな生き方のあるなかで、自分にとって好ましい生き方を考え選ぶ時は「真実に生きる」ことを見失っていることに気がつかない。それは生き方において目指すものがあるときは、必ず対立概念を生じないでは済まされない。そこに好ましくないものを想定して不安が生じ、避けようとして苦痛が増す。その対策に万全を期する工夫は症状として固定する。それが神経症である。

 さて、それをどの段階で対策をたてるべきか。もちろん早いに越したことはないと思われるに違いない。ところが森田療法ではいつからでも全治できる。それも信じてもらえそうもない迅速さ、かつ正確さなので、驚かれるに違いない。2015年に閉院した三聖病院は京都第一赤十字病院の西の向かい側にあった精神科の森田療法を行っていた施設であった。1912年に大本山東福寺立の医院として発足、1927年に病院となり、1951年に医療法人となった。初代宇佐玄雄(うさげんゆう)は小学校4年の時に伊賀市の山渓寺の嗣子となり得度、早稲田大学卒業後、医学の道を進むまえに大徳寺僧堂に掛塔して川島昭隠老師から「学校を捨てて来い」と言われ、厳しく禅の指導を受けて修行した。したがって、彼の森田療法には、おのずから禅的な風格が現れていた。彼は「どんどんやりなさい」と作業に随時取り組ませ、治った人として行動させた。したがって私語や医師に対する症状の訴えも許さなかった。その究極の全治像は「神経症になることもでき、治ることもできるのが本治りだ。」といった。そこにはどのようにも決めることのない自己像が現れており、「自分らしく」という概念の入りこむ余地はなかったのである。

   2024.2.10



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