三省会

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宇佐晋一先生 講話


瞬間的に治る

 本日は大変良い体験発表を聞かせていただきありがとうございました。Aさんは様々な苦しみを持っていながら、治るということは今日の生活の一瞬のこととおっしゃったことが一番大事なところです。

 Aさんが皆さん方のお役に立てるよう、いろいろ苦心して周到に準備をされて発表されたということは、まったく他のかたへの行為ですから、全治また全治の繰り返しで、本治りの状態が他の方へのサービスで続いて行くということです。それは瞬間、瞬間の連続でありまして継続というものではないのです。すなわち全治は必ず瞬間的なものばかりですので、せっかく治ったのにまたすぐ再発して治すのに随分ずいぶんまた苦労しないといけない、というような普通の病気にありがちなことは、神経症には当てはまりません。  

 世間ではよく心の病気と言いますが、これは自分で見た自分の感想をもとにした、治す努力に重点のかかった状態です。ですから、森田神経質の方の神経症の特色は必ず精神的な葛藤かっとうがあるのです。どうしたら解決できるかというその熱心さが特徴です。病気ではないのですが、治そうとすることで病気の状態ができあがっているのです。そうすると、自分自身が不満足であるという自己不全感があればあるまま、そこからすぐ今の皆さん方の大事な生活に進まれるその瞬間が見事な全治でありまして、継続という考えではなくその場、その時に現れている状態が見事な全治であるわけです。  

 世間では神経症というのはなかなか治りにくいと思われていて、瞬間的に治ると主張している私のようなものがいるのが不思議に思えるのです。ところが神経症というのは本当に瞬間的に成り立っていて、しかも瞬間的に治るのです。多くの方は神経症が小学校の頃から続いていますとか、ひと月ずっと悩み抜いてますとかおっしゃいますが、この場で瞬間的に成り立っているのです。たとえば夜中に眠っていらっしゃる時には、神経症は消えているのです。

 仏教の世界でいうところの悟りですが、世間では大変むずかしい高度な意識だと思われていますが、実は自己意識内を概念化しない、考えに置き換えないというだけのことです。これが自分だ、これが心だというふうに話を組み立てないというのが悟りでありまして、お坊さんですと、人を救うことの方に重点がかかりまして、自己意識の方は真っ暗になっているわけです。

 会場から「会社で仕事上の結果を求められていますが、ずっと良い結果が出ず困っています。その困っている状況から何とか解放されたいと思っていますが、それは脱線だとは分かっております」というご質問がありました。 会社でお仕事上のことで良い結果が求められていることは社会生活の常でありまして、もう朝から晩までそれを心配しているという状況がこの方としてはお困りなのでしょうが、それは特に悪いことでも何でもありません。森田先生も思い通りにできなくて、一日の終わりに残念、残念と何度もおっしゃったそうです。この残念というのはいわば仕事上、生活上の欲張りなのです。森田先生はその自己不全感、つまり自分が完全ではない感じというものをしみじみと味わっておられたということです。

 森田先生のお弟子の高良武久先生が、国際森田療法学会が福岡で開催された時「今回はよっぽど東京から行くのをやめておこうかと思ったけれど、森田先生から、道が二つあってどちらに行くか迷う時は困難な方を選べと常々言われていたので、そのお言葉にそむくことはできませんでした」とおっしゃっていたのが印象的でした。

 ですから、ますますお仕事に対して工夫、苦心を重ねて一生懸命やって行くということを実際の生活となさることです。心のほうからしっかりして行こう、心から楽になっていく方法を考えようということではなく、その困難な仕事にますますしがみついて取り組んで、いろいろ工夫していらっしゃるというのが道としてはもう間違いのないところです。

   2016.7.10 



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