三省会

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宇佐晋一先生 講話


神経質の日常性  

 どなたもご自分のことでよくおわかりであろうが、一見のんきそうに見える人でも、かなり生活や仕事には気を使っているものである。2020年11月28日に行われたNHK杯フィギュアスケート・グランプリにおいて、女子シングルの部で優勝した坂本花織選手は直後のインタビューで「とても緊張したんですけど、のびのびとやれました。これからもいい緊張のなかでやっていきたいと思います」と語った。そのことばは、あの美しく冴えた演技のイメージの拡がりに消されて、ただ感心し、羨ましいばかりの憧れのみが残ったかもしれない。

 しかし私はまず口を突いて出た「とても緊張したんですけど」という口調に「森田神経質の人に違いない」という確信を得た。自己意識内容をいうか、いわないかで、そんな違いはあるのだろうか、と思われるかもしれないが、それは実に大きな分かれ道なのである。神経質のとらわれは、そこから「緊張はあってはならないもの」として予防したり、排除しようとするところから始まる。そこで「緊張はあってもかまわない」とか「あるのが当りまえだ」という解説がなされるが、逆転の発想でうまく治るというのは森田療法としてはお粗末である。

 そもそも自己意識内容、もしくは自分の心を考え方で調整しようということからして、自己の真実をよく見抜いていない人にありがちなとらわれである。森田正馬先生の「あるがまま」は考えではない。つまり考え方を変えて「あるがまま」の実現を目ざすのではない。緊張したらしたまま、不安になったらなったままであって、あらゆる考えのまえの意識の状態である。それは「ことばのない世界」というべきもので、あらゆる解説に関係がない。手っ取りばやくいえば、自分を考えで表現するまえの状態で、外のことや他人のことにとり組んでいる状態が一番たしかである。他人への感謝なら間違いない「あるがまま」の全治にほかならない。はじめに述べた坂本花織選手は「これからもいい緊張のなかでやっていきたい」という名言をのこした。その実行が体得あるいは全治なのである。
    
   2020.11.30 



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