三省会

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宇佐晋一先生 講話


歌は聞くもの  

 令和3年12月21日のNHK「知恵泉ちえいず」で、作曲家中村八大の作曲家としての活躍ぶりが話題の中心となり、吉見俊哉 東大大学院教授(情報学環)は彼の作曲にはクラシックのみならず、ジャズや日本民謡まで、さまざまな要素が組みこまれていて、名曲といってよいと高い評価を与えられた。同席者の黒柳徹子は直接に見聞みききした貴重な本人の話を思い出として述べ、作詞者 永六輔が中村八大に、合作した「上を向いて歩こう」を坂本九が歌う時に「うゥえを向ゥいて歩こゥオゥオゥオゥ」というのが気にくわないからやめてほしい、と主張したが、作曲家として中村は「あれでいいではないか」といって譲らなかったという。永は「あの歌は悲しみの歌なんだ」と、なおも主張したが、中村は音楽家としての立場から、永の意見に従わなかったのだそうである。歌曲は歌い手によって生命が与えられ、もはや作詞家を離れて存在する。そういえば後に続く「涙がこぼれぬように」という歌詞を追えば悲しみの歌だったのだと気付かされるが、歌手から与えられる聴覚芸術の存在は歌詞を越えて胸に響くのである。

 坂本九の没後この歌が海を越えてアメリカで、なんと「スキヤキ」と題名を変えて歌われ、大ヒットしたと聞いた時、意外な感じがしたものだが、今となってみれば歌謡というものの本質からして、なにもおかしくはなかったのだ。

 井上章一 国際日本文化研究所々長から聞いた話であるが、ブラジルのサンパウロでキリスト教会を見学したとき、厳粛なミサの最中に突然「タンタン狸の・・・」の歌を皆が歌い出したので、びっくりしてしまったそうである。日本では下品な俗謡なのに、皆が大真面目に歌っているのを聞いて、それが本来キリストを讃えるゴスペル(聖歌)であったことがわかったという話であった。歌詞は文芸の世界であり、歌曲とは別の評価の対象なのであった。

 上記のテレビ番組の数日前に、前川清が「胸の汽笛は今も」(有馬美恵子作詞)を歌うのを聞いた。「時には立ちどまり人生を思う」という歌詞が私には好ましくなかったが、それは文芸の領域なので、立ちどまらずに聞きほれていた。

   2021.12.27



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